【懐かしの国鉄写真】昭和39~53年 飯田線の車両はこう変わった
今回も飯田線の写真です。前回の予告通り、初めて訪問した昭和39年に撮影したものから、昭和53年撮影したものに至るまで、計4回訪問して撮影したものを、36枚の写真で時系列的にご覧いただきたいと思います。
4回訪れた、昭和時代の飯田線
昭和の時代に飯田線を訪れたのは、1964 (昭和39)年3月、1967 (昭和42)年4月、1975 (昭和50)年11月、1978 (昭和53)年8月の4回です。前回は昭和53年の画像だけでしたが、古い分の画像もデータ化したので、全部まとめて大放出とします。
第1回目の1964(昭和39)年では、いきなり豊橋から辰野までの全線を乗り通しました。計画では天竜峡から飯田あたりで一泊するつもりでしたが、どこで降りようか決断できないまま、結果として乗り通してしまったのです。この時乗ったのはモハ30改造のクモハ14116で、運良く車体中央のクロスシートに座れました。
第2回目は主に大海付近で撮影し、廃止が噂されていた豊橋鉄道田口線に乗るため、鳳来寺で一泊しています。この頃はまだクモハ14、クハ16などの17m車もそこそこの勢力を保ち、豊橋機関区所属の20m車は湘南色化が進んでいました。
残り268文字
この続きは有料会員登録をすると読むことができます。
Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。