【懐かしの私鉄写真】本日で終了 相鉄車の小田急線本厚木乗り入れ

相鉄(相模鉄道)はJR東日本との相互乗入れを行っていますが、半世紀以上前まで小田急電鉄に乗入れを行っていました。わずかな距離でしたが、小田急の線路上を相鉄の車両が走るという光景がごく当たり前に展開していたのです。

この記事の目次

・相鉄はJR乗入れを行う半世紀以上前にも他社に乗入れ
・最終日は早起きして撮影

【画像枚数】全12枚

相鉄はJR乗入れを行う半世紀以上前にも他社に乗入れ

 相模鉄道は2019(令和元)年11月にJRとの相互乗入れを開始、数年後には東急電鉄との相互乗入れも予定されています。しかし、相鉄が他社へ乗入れたのはこれが最初ではなく、戦前の神中鉄道の時代から東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年まで、小田急電鉄の海老名~本厚木間に乗入れを行っていたのです。

Large 210224 sotetsu 01

拡大画像

海老名駅を出発し、小田急の下り線に入る相鉄6000系。左の線路は安全側線にしてはかなり長い。ポイントの脇に「5」の停止目標があるのは、5連運転が始まってもまだホームは4連分の長さしかないことを物語る(1964年11月4日、楠居利彦撮影)。

 1941(昭和16)年11月25日、相模鉄道の前身である神中鉄道は相模国分~海老名間を開業し、小田急電鉄に乗入れて本厚木(当時は相模厚木)までの直通運転を開始します。ただし、この時点で小田急に海老名駅はなく、座間寄りに海老名国分という駅がありました。

Large 210224 sotetsu 02

拡大画像

小田急の下り線を横断して相鉄線に入る2000系。こちらから下り線に入ることも可能で、安全側線も備えている。先頭のクハ2506は元青梅電気鉄道のモハ504を前身とする(1964年11月4日、楠居利彦撮影)。

残り563文字

この続きは有料会員登録をすると読むことができます。

2週間無料で登録する

Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

最新記事