ムッソリーニの鶴の一声で誕生 イタリアン戦車P40 ソ連製T-34に憧れ開発途中で大変身

イタリア国籍よりもドイツ国籍の方がお似合い?

 こうしてようやく車体と砲が完成したP40重戦車でしたが、今度はエンジン開発でつまずきます。当初は鹵獲(ろかく)したソ連製T-34戦車のエンジンを参考に開発した、330馬力のディーゼルエンジンを搭載する予定でしたが、上手くいきませんでした。そこで同出力のドイツ製ディーゼルエンジンをライセンス生産することにしたのですが、生産を受け持つフィアットSPAの工場が敵の空襲を受けたため、本格的な生産開始は1943(昭和18)年6月まで遅れてしまいます。

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大戦末期の1945年4月、チビダーレ・デル・フリウリにおける第24 SS師団の戦車中隊所属の第1小隊長(ワルターSS中尉)111号車。3色の複雑な亀甲型迷彩を施されていたが、これはフィアットSPA社の工場で塗られている(吉川和篤作画)。

 そのため、同年9月のイタリア休戦までに生産されたP40重戦車の数はわずか21両でした。ただ、その後イタリアは南北に国が分かれ、ドイツとともに戦争を継続した通称「北イタリア」、イタリア社会共和国(R.S.I.)では、引き続いてドイツ向けにP40重戦車の生産が行われています。

 結果、大戦末期の1945(昭和20)年3月までに65両がドイツに引き渡されて、ユーゴスラビア国境に展開したドイツ武装親衛隊の第24武装SS山岳師団『カルストイェーガー』や山岳治安警察部隊などへ配備されます。そして終戦間際、イギリス軍との戦闘ではM4「シャーマン」中戦車を撃破して、最後は自国イタリアではなくドイツ軍のために働いて、有終の美を飾ったのでした。

【了】

【写真】変身前のP40戦車 T-34ショックを受ける前の姿は…

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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