「ジャンボ」747の「コブ」はなぜ誕生? 開発当時の未来予想は大外れ… でも狙い通り?
半世紀以上続くボーイング747「ジャンボ・ジェット」シリーズの最大の特徴といえば、機体前方がコブのように出っ張った「アッパー・デッキ」です。これはどのように生まれたのでしょうか。その歴史を振り返ります。
将来は「超音速旅客機」が主流になると…
「ジャンボ・ジェット」と呼ばれるボーイング747シリーズは、1969(昭和44)年の初飛行以来、長年空の世界で主力級の活躍をしてきました。その最大の特徴といえば、機体前方が大きく「コブ」のように出っ張ったアッパー・デッキ(2階席)です。この特徴的な風貌は、どのように生まれたのでしょうか。
この独特の形が作られたのは、実は開発当時の時代背景が大きく関係しています。
747は、ボーイング社最初のジェット旅客機「707」の後継機として、開発が進められました。主任設計師は「747の父」とも呼ばれたジョー・サター氏。彼は短距離国内線をターゲットにした100席~200席クラスのジェット旅客機「737」の開発がひと段落したのち、747の設計を進めました。
747は、当時のアメリカ最大手パン・アメリカン航空のオーダーで開発されましたが、単なる707の後継機であれば、機体規模を大きくして客室を1階建てとし、大型のエンジンを4発搭載すればよいような気がします。また、「コブ」がない分、その方が機体全体の抵抗が少なくて済みそうです。
実は747が初飛行した時代、航空における旅客輸送の将来像は、「超音速旅客機の時代が到来する」と考えられていました。ボーイング社でも「2707」というマッハ2で超音速巡航できる機体の開発を始めており、実物大模型も造られ、実現への“秒読み段階”にあったのです。そのため、超音速旅客機とくらべると、巡航速度が大きく劣る747などは、将来的には旅客輸送から外され、貨物機として活用される――という見立てでした。
そしてこの「コブ」はそもそも、747のためだけに開発されたものではなかったのです。
表題が「『コブ』はなぜ誕生?」なのに、その解が示されていない。
アメリカ空軍輸送機の受注競争に負けたあと、そのときに提案した機体を民間機に応(転)用したわけだが、当初は写真のC-5同様の外観になる総2階を目指していて、しかし緊急脱出時間が満たされないがゆえ、2階部分を短縮せざるを得ず、それで「こぶ」ができた。