バルカン砲の先祖「ガトリング砲」が消えたワケ 日本ではボッタクリ価格で秘密兵器に
初期の機関銃ともいえるガトリング砲。現代の機関銃とは異なる、いわゆる多銃身といわれる構造を持つこの火器は、当初は意外な目的で発明されたそうです。いまやほとんど姿を見なくなった兵器「ガトリング砲」の出自と経緯を追いました。
戦争犠牲者を減らすために誕生
日本語で「多銃身機銃」などと形容されるバルカン砲。その名のとおり、3本や6本など複数の銃身を環状に束ね、それが回転することにより高速で極めて多くの銃弾を撃ち出せるようになっています。
その元祖といえるのが19世紀に登場したガトリング砲です。これは、6本の銃身を持つ初期の機関銃であり、毎分200発もしくは毎分900発で銃弾を発射することが可能な、当時としては強力な兵器でした。
その仕組みは複雑で、なおかつ機動性も悪かったことから、当時の軍隊は性能をフルに発揮できませんでした。とはいえ、現代につながる単銃身の機関銃が普及するまでの一時期、世界各地の戦争や紛争などで使われたため、意外にも実績を残しています。
ただ、ガトリング砲が開発された当初の目的は、現在から見ると意外なものです。それを探るため、歴史をさかのぼってみましょう。
ガトリング砲を開発したのは、農業機器などを手がけるアメリカの発明家リチャード・ガトリングでした。彼は、以前に発明した小麦を植えるドリルをヒントにガトリング砲を生み出します。そして特許申請の際に、その目的を「発射速度の速いガトリング砲ならひとりで100人分の戦闘能力があり、大規模な軍隊は不要になるから戦闘や戦場の病気で亡くなる人を減らせる」と書きました。
つまり、戦争の犠牲者を減らす、というのがこの発明の目的だったというわけです。しかしガトリングの目的とは裏腹に、機関銃が主力兵器になった日露戦争や第1次世界大戦では、戦争が長期化して多くの歩兵が犠牲になりました。
価格がぼったくりかどうかは必要性と開発できるかで決まるわけで、防衛に必要かつ開発能力がなければ買わないといけないわな。