バルカン砲の先祖「ガトリング砲」が消えたワケ 日本ではボッタクリ価格で秘密兵器に
時代は単銃身の機関銃へ
話をリチャード・ガトリングに戻すと、彼は1870年にガトリング砲の特許を銃器メーカーのコルト社に売却しました。こうしてガトリング砲の特許を手に入れたコルト社では、その後も改良を重ね、1893年には毎分3000発の発射速度が可能な電気モーター式の特許を得ています。
ただ、この電動化がガトリング砲の運用の幅をかえって狭める結果となります。電動式のためさらに重量が増し、精度の低いモーターはかえってガトリング砲を扱いにくい武器にしてしまったのです。
重量の増したガトリング砲を装備した砲兵隊は、歩兵と共同で行動するのが困難でした。そのようななか、1889年にコルト社が開発したガス式のブローニング機関銃や全自動式のマキシム機関銃が登場すると、アメリカ陸軍は手動式のガトリング砲を1911年に廃止。以降、ガトリング砲は表舞台から姿を消します。
発明当初の目的は忘れられ、強力な兵器として世界に広まったガトリング砲ですが、こうして使い勝手が悪くなったことで、次第に廃れていきました。しかし、ガトリング砲が始祖となった多銃身火器は、第2次世界大戦後にバルカン砲として復活し、航空機の機関砲や陸軍の対空砲、海軍の艦載砲や近接防空火器(CIWS)などに応用され、今ではポピュラーな兵器になっています。
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Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
価格がぼったくりかどうかは必要性と開発できるかで決まるわけで、防衛に必要かつ開発能力がなければ買わないといけないわな。