京王相模原線「幻の延伸計画」 京王以外も目指していた“終点”はいま
東京の多摩ニュータウンを経由し、相模原市の橋本駅を終点とする京王相模原線には、さらなる延伸計画が存在しました。どこを目指し、なぜ実現に至らなかったのでしょう。実は複数社がその場所を目指し、最も近づいたのが京王でした。
京王だけじゃない 「多摩ニュータウン+観光地」の新線計画
※本記事は森口誠之『開封!鉄道秘史 未成線の謎』(河出書房新社)の内容を再編集したものです。
新宿から京王特急に乗って40分。JR横浜線をまたいで相模原線の終点・橋本駅に到着する前、左側の車窓から巨大な掘割状の土木構築物が見えてきます。ここはリニア中央新幹線の神奈川県駅(仮)の建設現場で、地下30mにホームが整備されます。
実は、半世紀以上前に京王相模原線の計画が始まった際、京王の橋本駅は現在の位置ではなく、リニア新駅の北側あたりに設置する計画でした。そして、橋本駅から先、相模原市緑区(旧津久井町)まで延伸する計画が国から承認され、相模城山駅と相模中野駅を設置する準備もされていました。これが、京王相模原線の「相模中野延長線」計画です。
ルート上に京王の所有地が点在していましたが、社会情勢の変化もあって、橋本~相模中野間の計画は1980年代に頓挫しました。
そうした計画だけあって未完成となった鉄道計画線は「未成線」と呼ばれます。90年代には鉄道廃線跡ブームが起きるとともに、未完の鉄道の歴史や痕跡を調べる趣味活動も静かな人気を集めるようになりましたが、京王の相模中野延長線もそのひとつです。
京王相模原線の計画がスタートしたのは、東京五輪のあった1964(昭和39)年のことです。東京都などが多摩ニュータウンの計画を始めるうえで、都区内と多摩地区を結ぶ通勤新線の新線構想が浮上します。
多摩新線構想は9案ありましたが、有力視されたのは、大手3社の構想でした。
・京王:京王調布~稲城~多摩~城山~津久井(相模中野)
・小田急:喜多見~稲城~多摩~城山
・西武:北多摩(現在の西武多摩川線白糸台駅)~多摩~城山
3社が城山方面を目指したのは、相模川で城山ダムの工事が進展していたのが大きいです。完成後、ダム湖は津久井湖と命名されますが、都内から近いレジャー地として躍進することが期待されていました。鉄道各社はニュータウンの通勤輸送だけでなく、観光輸送も考えていたわけです。
北多摩→北多磨
この延伸計画に乗っかって知人のご両親が戸建てを購入したのが津久井レイクタウン。
京王相模原線新型2000型走りますか?。