東京23区内の京王線に「単線区間」が? 街の谷間に残る「半分だけの廃線跡」
都心にほど近い京王線の笹塚駅付近では、単線だけの地上区間があります。そこにある唯一の踏切も、1本分の幅しかありません。どうしてこのような形になったのでしょうか。
寂しげに走り抜ける電車
都心と多摩地域を結ぶ大動脈である京王線ですが、東京23区内に「線路が1本だけの踏切」があります。笹塚駅の東側にある「幡ヶ谷3号踏切」です。
この「単線区間」は新宿方面の線路で、踏切のある場所では、八王子方面と、京王新線の線路はすべて、地下を通っています。なぜこの1本の線路だけ、地上にあるのでしょうか。
踏切に近い跨線橋から線路を見下ろすと、そのヒントを得ることができます。笹塚を出ると、京王新線は甲州街道の下を、京王線はその南側をそれぞれ走行していますが、笹塚駅では4本の線路のうち真ん中の2本が京王新線なので、京王線の新宿方面の線路は、いったん京王新線と交差する必要があります。
その際、高架橋で跨いだり、地下トンネルで交差するよりは、地上を走り続けて交差するほうが安上がりなため、このような形になったということです。
さて、「幡ヶ谷3号踏切」にはまだ不思議があります。線路は1本しかないにもかかわらず、列車の進行方向を示す「矢印のランプ」は両方向あります。なぜなのでしょうか。
少し歴史をさかのぼると、京王線はもともと新宿駅まで地上を走っていました。1963(昭和38)年に新宿駅が地下化し、1978(昭和53)年に京王新線が開業しましたが、笹塚~初台駅付近まで京王線はしばらく地上線のままでした。現在のように笹塚駅付近まで地下化されるのは、1983(昭和58)年のことです。
先ほどの「矢印のランプ」の謎は、両方向とも地上線だった時代の名残なのです。今は単線の踏切になっていますが、踏切の周辺には、かつての線路敷を思わせる広い空地が広がっています。
「半分だけ廃線」になってしまったまま、今もわずかに残る笹塚駅東側の地上線。ビルの陰をひっそりと駆け抜けていく電車の後ろ姿は、どこか寂しげに見えました。
【了】
旧初台~旧幡ヶ谷のトンネル延長部分
電車を運行しながら真下を掘って、一夜で切り替えたんだよな…
現トンネルの初台駅跡下り方で、支柱の無い部分が切り替えた部分で、元々はそこに地上に出る勾配が…
それを鉄骨で受けた勾配にして工事をし、その日に一気に切り替え
その部分は切り替え後しばらくは天井が無く、一旦日差しの届く不思議な部分になっていた……
そうでした、懐かしい。厳密には一晩ではなく初電からしばらく上りは笹塚折返し、たしか手書きの笹塚板でしたよね。
この記事、ツッコミどころが満載で。単線ではないし、踏切装置は30年も交換されていないのでしょうか?(これは確認していませんが。や)
踏切は交換されているでしょうね。
矢印が片方向しかないような特殊な警報機をわざわざ用意するとコストがかかるわけで、上り下り両方向の汎用品を使ったということでしょう。
地上時代は幡ヶ谷の新宿方に25制限のSカーブなどもあって新宿まで右に左にカーブを繰り返しながらゆっくり走ってました。
すみません、図で書いて貰えないとさっぱりサッパリ頭に入って来ません。
ここの踏切、確か自動車は通行出来ないはずなので、歩道橋設置等で踏切自体の廃止は出来そうですが、そのためだけに、ここで無理にコストをかける必要も無いのかな…?
ここから国道を渡った反対側に住んでいるものです。
動画の方に全景が写ってますが、あれを見ての通り(あれが普通の視野であって広角撮影ではない)、現地はどう見ても「1本だけ何十mかずれてトンネルに入っているだけ」に見えるのであって、とてもではありませんが単線には見えません。1ページ目の静止画の切り取り方に悪意を感じますし、始終あと3本の線路を走る電車の音がするので寂しさはありません。かように記事の内容に無理があります。
それでも筆者殿が単線に見える、寂しいというようでしたら、申し訳ございせんが、視野と聴力の検査を受診されたほうがよろしいかと存じます。
そして、サイトの運営殿には、記事の品質の確保をされますようお勧めいたします。
確かに筆者は自身のYouTube動画をそこまま提供しているし さも都心の単線と紛らわしい表現で興味を惹こうとしている 単に複線の一方がトンレルに入る場所に差が有るだけ それにこの筆者わかりやすくするために図面を用意するような工夫をしない人です
動画を観ていて、構造が解かりました。上手な設計だったのですね。
確かに踏切設備更新前なら『複線時代の名残』でしょうけど、設備更新した現在では、単に『他の踏切と共通の部品を使っている』にすぎません。
記事の詰めが甘すぎますね。