「戦車」じゃなくて「特車」です 自衛隊内の独特な呼称 今はそう呼ばない理由とは?
陸上部隊の花形ともいえる戦車。大きな砲と砲塔を持ち、装甲で覆われて、履帯で悪路を走ることもできるこの大型の火器として知られていますが、日本の自衛隊は一時期この車両を「特車」と呼んでいました。
言い換えがとても大切だった時代の呼び名「特車」
陸上部隊の花形ともいえば、戦車です。もちろん日本の陸上自衛隊も戦車を装備していますが、実は発足からしばらくの間は、「特車」の名称で呼んでいました。その理由は、自衛隊が発足したときの事情が大きく関わっていました。
自衛隊が発足したのは1954年のことです。前身組織である警察予備隊、そして保安隊を経ての発足でした。
敗戦により日本国憲法第9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、つまり軍隊は持たないという文言を明記した日本でしたが、すぐ隣国で朝鮮戦争が勃発し、駐留していたアメリカ軍が朝鮮半島に向かったため、当時日本を占領していたGHQ(連合国軍総司令部)が不足した人員を補うべく、急遽、日本は自身で身を守るように指令を出した結果でした。
「軍隊を持たない」と宣言した直後に、軍隊に相当する自国を守る組織を作る必要がでてきたわけですが、普通に再軍備すれば、「また戦争をするつもりか」と国民から猛反対を受けることも考えられます。このため、明らかに国防軍を意識した組織でありながら、警察の補助という名目で「警察予備隊」という名で人員を募集し、戦争をする組織ではないことを強調したのです。
しかし、建前上はそうでも、国防にあたるからには、他国の軍隊と渡り合える実力、つまり軍事力が必要です。そのため、警察予備隊はアメリカ軍士官を教官に、アメリカ軍から装備品の援助を受けることになります。
ここでまた問題が発生します。アメリカ軍から迫撃砲や戦車の供給を受けて発足した警察予備隊は、軍隊にしか見えなくなってしまったのです。この問題に政府は、名前を変更して、イメージ戦略を重視する形で対応します。
「兵隊、兵士」は戦争で戦うことをイメージするので「普通科」に。「砲兵・法兵科」や「戦車」も戦争のイメージが強いので、「特科」「特車」と名前を変更してしまったのです。
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