「基地内は米国です」なのになぜ「左側通行」? 交通ルールは日本流の嘉手納基地 「そこだけは米国流か!」ルールも
「敷地内はアメリカ」とされる米軍嘉手納基地ですが、日本と同じルールが採用されているものがひとつあります。それが車両の「左側通行」です。なぜこのようになったのでしょうか。
沖縄は1978年に「左側」に
沖縄県の米空軍嘉手納基地は、分類的には「アメリカ国内」とされています。しかしその敷地内を走る自動車やオートバイを見ると、日本と同じように左側を走っているのです。なぜ「左側通行」となっているのでしょうか。
1972年5月まで米国統治下だった沖縄県で、自動車が右側通行から左側通行へ一斉に変わったのは、1978年7月30日の午前6時でした。この日を目指して沖縄県下では、「ナナ・サン・マル」運動または大作戦と呼ばれた、ルール変更の周知徹底が行われ、県民の大きな関心事でした。
というのも、路線バスやタクシーは乗降ドアが左右入れ替わるため、新しい車両を購入しなければならず、約350基の信号機や3万6000基以上の道路標識も軒並み付け替えなければならないなど、交通ルールが生活に密着していたからです。
それゆえに、この一大プロジェクトにまつわる数々の記録や思い出が出話は多く残されていますが、極東最大と呼ばれる米軍嘉手納基地内の事情についてはさほど出てきません。
そこで、嘉手納基地がいつ左側通行に変更されたかも合わせて基地報道部へ問い合わせました。すると、「変更は1978年7月29日午後10時に通常の交通が停止し、翌日午前6時に再開された」といいます。つまり、沖縄県と歩みを同じにして「左側通行」への移行が実施されたということです。
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