「JASのジャンボ」なぜポシャった? 国内3大航空“みんなジャンボ”だったら歴史変わってたかも!?
JAL・ANAも導入した「ジャンボ機」ことボーイング747は、実は国内で2社に次ぐ事業規模を誇ったJASでも導入が計画されていました。なぜとん挫に至ったのでしょうか。
1992年導入予定だった
「ジャンボ機」の愛称で親しまれたボーイング747は、かつて世界最大の旅客機として、国内でもJAL(日本航空)、ANA(全日本空輸)が使用していました。さらに、この2社に次ぐ事業規模を誇ったJAS(日本エアシステム)も導入を検討していたのですが、これは実現しませんでした。
JASはかつて国内線を中心に路線網を持ち、2002年にJALと経営統合した会社です。それ以前の1988年4月まではTDA(東亜国内航空)を社名にしていましたが、そのTDAは、日本国内航空と東亜航空が1971年5月に合併して生まれたものです。JAL、ANAに次いでTDAが誕生したこの時代に、3社共通の機種だったのがボーイング727でした。
その727に続き、747が3社共通の機種になろうとしていたのは1990年代のこと。日本を狂喜させたバブル景気の破綻後も好景気の余韻はまだ残っており、海外旅行も増加傾向にありました。
運輸省(現国土交通省)は国内航空会社の競争を促進し、成田空港の2期工事と関西国際空港の建設、羽田空港の沖合展開事業を進めていました。日本はまだ「イケイケ」ムードであり、当時のJAS幹部は「JALとANAに比べて営業力は歴然とした差がある」と認めつつも、旅客需要の獲得へ向けて、1992年3月に2機の747-400導入を織り込んだ事業計画を発表します。
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