広島空港、なぜ市街地からメチャ遠い?「新幹線の方が速くね?」な謎立地となった経緯とは
広島空港、かつては別の場所に?
1993年開港までの経緯を記した『新広島空港工事誌』(運輸省第三港湾建設局広島港工事事務所、1994年)をひも解くと、広島空港は用地の選定にあたって多段階で適地の検討がなされたことがわかります。
それによると、まず県内の都市部や不適な地形の地域を除外した上で、「広島市より40km圏内」かつ「岩国飛行場の滑走路方位より東側」の地域から21か所を選定し、さらに事業費やアクセス性など詳細条件を考慮して、最終的に現在の「本郷(用倉)」(三原市)に決定したとのことです。
空港周辺の開発では、レジャーが可能な「中央森林公園」のほか、広島県の自然の美しさを表した築山池泉回遊式庭園「三景園」も開設し、「庭園空港」という付加価値を加えています。これによってアクセス面の不利を克服しようとしています。
1993年10月29日の開港から31年が経った広島空港ですが、「もっと市街地に近ければ……!」という声は今でも多くの利用者の本音でしょう。そして、この思いの裏側には、同空港の絶対的な評価だけでなく、開港以前に存在した「旧」空港との比較があります。前述の資料名に「新」とあったのも、「旧」の存在を受けてのことです。
広島県の空港史を簡単に振り返ると、広島市の南西に位置する現在の大竹市「小島新開」(JR大竹駅の東側)に1936年、逓信省(現・総務省)によって公共用の「広島飛行場」が開設されたのが始まりです(1943年廃止)。また、1944年ごろには現在の中区吉島新町・光南・吉島南の辺りに陸軍の「吉島飛行場」が開設され、戦後は市民のグライダー滑空の練習場などとして活用されたそうです。
なお、同飛行場跡の南端辺りには、2004年に広島市環境局施設部のごみ焼却施設「中工場」が建設され、近年は映画作品のロケ地としても話題になっています。
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