【日本の高速鉄道 その誕生と歴史】第6回「狭軌での可能性を探る」

小田急3000形、そして「こだま形」へ

 国鉄が90系を完成させた昭和32年、小田急電鉄は新宿~小田原間の60分運転を目指し、国鉄技術研究所と協力して、3000形特急型電車(SE車)を落成させました。3000形はより高速で走ることを目標に、車両と車両のあいだに台車を設置する連接方式を国内で初めて採用しました。また、ディスクブレーキ、カルダン駆動、軽量車体構造、低重心構造など、最新技術が数多く投入された形式でもあります。

 しかしながら、当時の小田急電鉄は線形が悪く、高速試験には不向きだったため、小田急側が国鉄へ東海道本線を使用した試験走行を申し入れました。当時、国鉄側でも電車での高速走行を画策していたためこれを受け入れ、小田急電鉄の車両を使った、東海道本線での高速試験走行が行われることになりました。

 同年9月27日、東海道本線の函南~沼津間において、小田急3000形は当時狭軌の世界最高記録となる145km/hを記録し、いよいよ高速列車への期待は高まっていく結果となりました。

 国鉄でも、東海道本線の全線電化が完了した頃から、東京~大阪間の特急列車増発プロジェクトが進められており、その中で、“機関車牽引方式”か“電車方式”かの、議論が続けられていました。

 その結果、
・加減速性能が高い
・軸重(車軸ごとの重量)が軽いので路線の受けるダメージが少ない
・転轍機(ポイント)の通過速度向上が見込める
・両端に運転室があるため折り返し時に時間短縮ができる
などの理由により、動力分散の電車方式が採用され、「こだま形」の登場に至ります。

 同時に、東海道本線の輸送力増強の議論は続けられており、「こだま形」の登場が、それに大きな影響を与えていくことになります。

【第7回:ビジネス特急「こだま」誕生に続く】

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Writer: 赤野 克利

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