東急の電力小売りは再参入? 歴史的に縁が深い鉄道と電力

東急の電力小売り進出は「原点回帰」

 1918(大正7)年、東京の洗足、大岡山、多摩川台周辺で宅地開発を行うべく、「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一らが発起人となって、現在の東急グループの母体となる「田園都市株式会社」が設立されました。いまでは高級住宅地の田園調布を筆頭に多くの人々が暮らすエリアですが、当時は不便な農村で、その地価は東京・日本橋の400~600分の1程度だったといいます。

 この田園都市株式会社は、そうした不便な土地を開発するにあたり住宅の建設のみならず、自営で電力などのライフラインも供給。合わせて、1922(大正11)年に同社から分離させた「目黒蒲田電鉄株式会社」へ交通手段を担わせる形で、都市開発を進めていきます。

 そしてこの目黒蒲田電鉄は1928(昭和3)年、逆に母体であった田園都市株式会社を合併。現在の東急電鉄になります。

 つまり「現在の東急が行っていた」とすることは難しいかもしれませんが、現在の「東急」という会社へ至る歴史のなかでは、家庭向けに電力を供給する事業が行われていた時代があるのです。

 このような鉄道を活用した「総合的な街づくり」は東急の代名詞ともいえる手法で、後年における東急田園都市線沿線の開発などへも繋がっていきます。鉄道にとって「電気」は走るためのエネルギー源としてのみならず、「都市開発」の見地からも親和性が高いのです。

 ある意味「原点回帰」ともいえる、今回の東急による電力小売り事業への参入。そうした同社の歴史を考えると、大変興味深い出来事といえるでしょう。

※参考文献
「鉄道ピクトリアル」2004年7月増刊号【特集】「東急電鉄」(電気車研究会)
「あのまちは今 東急電鉄 田園調布」(公益財団法人・区画整理促進機構)

【了】

Writer: 恵 知仁(鉄道ライター)

鉄道を中心に、飛行機や船といった「乗りもの」全般やその旅について、取材や記事制作、写真撮影、書籍執筆などを手がける。日本の鉄道はJR線、私鉄線ともすべて乗車済み(完乗)。2級小型船舶免許所持。鉄道ライター/乗りものライター。

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