環2ようやく全通へ 完成しない東京の環状線の謎

なぜ東京の環状線は完成がこんなに遅いのか

「環状線」といえば、近年は首都高のC2中央環状線、外環道、圏央道の「3環状」に注目が集まっていますが、「東京の環状線」といえば先述のように、一般街路の環状1号線から8号線までの計画のほうがずっと先輩です。しかし全体の完成は、はるかに後から計画された「3環状」が先になりそうです。

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関東大震災後に計画された東京の環状線。1号線から8号線まで計画されているが、すべての開通は未だ見えない(国土地理院の地図を加工)。

 東京の一般街路の環状線は、1世紀近く前に計画されていながら、なぜこれほど完成が遅れているのでしょう。

 理由のひとつは予算不足です。そしてもうひとつの根本的な原因は、政治家から国民に至るまで、都市計画の重要性への理解が不足している点が挙げられると私(清水草一)は考えています。

 欧州史は外敵の侵入の歴史です。生命を守るため都市は城塞化する必要があり、強力なリーダーシップや、強制性を伴った都市計画が必須でした。アメリカもその歴史を引き継いでいます。

 しかし日本は、外敵の侵略を受けた経験がごくわずかしかありません。民衆にとって最大の敵(?)は支配階級であり、都市計画は民有地を奪う権力の横暴として、江戸期から激しい抵抗の対象だったのです。

 明治以降、東京の都市計画には3回、大きな転換期がありました。

(1)関東大震災後の震災復興期
(2)太平洋戦争後の戦災復興期
(3)「東京オリンピック(1964年)」整備期

 環状2号線などが計画されたのは(1)の時期です。震災復興時、元東京市長だった後藤新平が復興院を率いて非常に野心的な計画を立てましたが、予算不足や各界の反対などで大幅な縮小を余儀なくされました。それでも現在の都心部と下町の道路整備はほとんどこのときに実行され、現在も東京の都市機能を支えています。

 この時期に計画された8本の環状道路のうち、実際に震災復興事業として造られたのは環状5号線、つまり「明治通り」だけ。これが東京初の環状道路で、当時の感覚としては現在の外環道に当たるでしょうか。それより外側の環状6~8号線の完成は、ずっと遅れて戦後になりました。

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コメント

4件のコメント

  1. 投稿2頁の図の各環状線の間隔を見ると、環状3号と環状4号は別にする必要はないのではと感じますが、環状線は内側ほど間隔を狭めたほうが中心通過の抑止効果が高いなどの経験則があるのでしょうか?

    • 単純に中心部の方が交通量が多いからだと思います。
      ですが、東京のように郊外までほぼ均等に建物や人口が詰まっている場合、逆に外側を広げる意味があるんですかね。

  2. 80年以上前の計画を今に当てはめてる想像力のないのがいるな。
    当時の環8の辺りなんて何にもないぞ。
    計画当時の人口密度、交通事情を考えみそ。

    それにしても不謹慎だけど、もう一度関東大震災で壊滅しないとダメなのかな。
    まあ、東京の環状道路の整備が終わる頃には私はもう死んでいそうだ。

  3. 築地市場移転延期で、2016年12月の暫定開通出来ず残念ですね。
    開通していれば、今頃は、築地市場周辺の渋滞が緩和されていたのはずが、
    移転延期が決定され、ドミノ倒しのように他の都市計画に影響を及ぼしています。

    結局、工期の遅れと渋滞解消の遅れで、利益どころか不利益が都民に返ってきており、都民ファーストという言葉にうさんくささを感じています。