環2ようやく全通へ 完成しない東京の環状線の謎

「第4の道路建設期」を迎えた東京

 実は東京は、太平洋戦争後の戦災復興期には、ロクに道路を新設できていません。当時、日本は敗戦国で予算もないうえ、GHQは日本を中進国に戻せば十分と考えており、東京の復興計画に冷淡でした。当時の安井東京都知事も、焼け出されて食うにも困っている人が多いのだから、都市計画など後回しでいいという考えで、千載一遇の機会を逃したのです。

 環7が全線開通したのは1985(昭和60)年、環8は2006(平成18)年です。計画から完成までそれぞれ58年、79年かかりました。環7は首都高などと並んで「東京オリンピック」関連道路として本格着手されましたが、環8はさらに後回しになりました。

 一方、環1から環4までは既存の道路を転用するなど、当初から“つぎはぎ”で計画されたものでした。うち環3と環4はいつ完成するのか、現在も目途が立っていません。

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環状3号線の一部である文京区の播磨坂。環3と環4は現在も完成の目途が立ってない(2015年12月、下山光晴撮影)。

 環3(外苑東通り)には拡幅事業中の区間があります。環4(外苑西通り)は現在、新宿区内で原道のない区間が330メートルにわたって新設中です。ただいずれも、建設速度は牛歩です。

 しかしそれでも、20世紀中のことを思えば、3環状高速の完成が見え、環状2号線も全線開通が間近な現在は、2020年の「東京オリンピック」に向けての「第4の道路建設期」といえるのかもしれません。

【了】

Writer: 清水草一(首都高研究家)

1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』などの著作で、首都高研究家/交通ジャーナリストとして活動中。

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コメント

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4件のコメント

  1. 投稿2頁の図の各環状線の間隔を見ると、環状3号と環状4号は別にする必要はないのではと感じますが、環状線は内側ほど間隔を狭めたほうが中心通過の抑止効果が高いなどの経験則があるのでしょうか?

    • 単純に中心部の方が交通量が多いからだと思います。
      ですが、東京のように郊外までほぼ均等に建物や人口が詰まっている場合、逆に外側を広げる意味があるんですかね。

  2. 80年以上前の計画を今に当てはめてる想像力のないのがいるな。
    当時の環8の辺りなんて何にもないぞ。
    計画当時の人口密度、交通事情を考えみそ。

    それにしても不謹慎だけど、もう一度関東大震災で壊滅しないとダメなのかな。
    まあ、東京の環状道路の整備が終わる頃には私はもう死んでいそうだ。

  3. 築地市場移転延期で、2016年12月の暫定開通出来ず残念ですね。
    開通していれば、今頃は、築地市場周辺の渋滞が緩和されていたのはずが、
    移転延期が決定され、ドミノ倒しのように他の都市計画に影響を及ぼしています。

    結局、工期の遅れと渋滞解消の遅れで、利益どころか不利益が都民に返ってきており、都民ファーストという言葉にうさんくささを感じています。