東京の鉄道地図を大きく変えたかも? 幻の「通勤新幹線」構想
いまや四国を除く全国にネットワークを伸ばした高速鉄道の新幹線。数百キロ程度の中長距離を結ぶ都市間輸送をおもな目的として建設されましたが、過去には数十キロ程度の短距離通勤輸送を目的にした「通勤新幹線」の建設が考えられたこともありました。
東海道新幹線の成功機に計画された全国ネットワーク
1964(昭和39)年10月1日、東京と大阪を結ぶ東海道新幹線が開業しました。日本でもモータリゼーションが本格的に進もうとしていた時代、他国にも例のない高速鉄道を建設しようという新幹線計画は「無用の長物」になるのではないかとの批判もありましたが、ふたを開けてみれば、それ以降の鉄道史を変えてしまうほどの大成功を収めました。
すぐに東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線の建設が決定し、1967(昭和42)年に新大阪~岡山間、1970(昭和45)年に岡山~博多間が起工します。日本中に新幹線を張り巡らせていこうという機運が高まるにつれて、その次を見据えた議論が動き始めました。
1969(昭和44)年5月に新全国総合開発計画(新全総)が閣議決定され、国土開発の新骨子として総延長7200kmの全国新幹線鉄道網の建設構想が盛り込まれました。1970(昭和45)年5月には全国新幹線鉄道整備法が成立。翌1971(昭和46)年4月に東北新幹線、上越新幹線、成田新幹線の整備計画が策定され、同年11月に着工されます。
新幹線整備を推進した政治家といえば、真っ先に思い浮かぶのが田中角栄ではないでしょうか。構想段階にあった全国新幹線網計画は、1972(昭和47)年に田中角栄が「日本列島改造論」を引っ提げて内閣総理大臣に就任してから、急速に具体化を始めます。
1973(昭和48)年11月には、改造論の中核をなす新幹線について、新たに11路線を全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画に追加するとともに、北海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線 (鹿児島、長崎ルート)の整備計画を決定しました。現在もこの時の計画をベースに新幹線の整備が進められています。
出発点は国鉄がまとめた構想
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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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