なぜターミナルから遠いのか 京成「昔の成田空港駅」を公文書でたどってみた

成田空港とともに開業40周年を迎えた京成東成田線の東成田駅。空港ターミナルビルから離れていて不便だったのがあだになり、ターミナル直結の新駅開業後は影の薄い存在となっています。なぜ不便な場所に建設されたのか、その経緯を公文書などでたどってみました。

空港ターミナルビルを通らない空港駅の謎

 羽田空港に代わる東京圏の国際空港として建設された成田空港(千葉県成田市)が2018年5月20日、開港から40周年を迎えました。それは同時に、京成電鉄の東成田駅が開業40周年を迎えたということでもあります。

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開業40周年を迎えた京成の東成田(旧・成田空港)駅。空港のターミナルビルからは離れた場所にある(2018年5月、草町義和撮影)。

 実際に東成田駅が開業したのは、開港翌日の1978(昭和53)年5月21日のこと。成田空港内にある鉄道駅では一番最初に開業した駅で、開業時の駅名はその名も「成田空港駅」でした。京成電鉄はこれにあわせ、空港アクセス特急「スカイライナー」の運行を開始。京成上野~旧・成田空港間を約1時間で結びました。

 しかし、旧・成田空港駅は厳密な意味での空港アクセス駅とは言えませんでした。駅が設けられたのは、開港時からある第1旅客ターミナルビルと、のちに建設された第2旅客ターミナルビルのほぼ中間地点。駅から第1ターミナルまでは約500mもあり、シャトルバスに乗り換えなければならなかったのです。

 いっぽう、京成とは別に、東京駅から第2ターミナルを通って第1ターミナルに直結する成田新幹線も計画され、成田線との交差地点から第1ターミナルまでの区間で高架橋やトンネルの建設が進められました。しかし、それ以外の区間は新幹線の騒音や振動を懸念した沿線自治体や住民の強い反対で工事がほとんど進まず、さらには国鉄の経営悪化のため1983(昭和58)年に凍結されてしまいました。

 結局、成田新幹線の完成した高架橋やトンネルを活用してJR在来線と京成電鉄の空港乗り入れ線を整備することになり、1991(平成3)年3月に第1ターミナル直結の新・成田空港駅が開業。乗り換えの不便さが解消されました。1992(平成4)年12月には第2ターミナルの供用も始まり、空港第2ビル駅が開業しています。

 いっぽう、旧・成田空港駅は空港アクセス輸送の任務から実質外れることになり、新・成田空港駅の開業にあわせて現在の「東成田駅」に改称されました。「スカイライナー」も新・成田空港駅に乗り入れるようになったため、2面4線ある地下ホームのうち「スカイライナー」専用ホームを閉鎖。その上にある改札内コンコースも縮小されました。

 東成田駅は現在、おもに空港従業員が使う通勤駅に。そのため、平日の昼間や週末は利用者がひじょうに少なく、がらんとして薄暗い地下のコンコースやホームは、ちょっとした怖さを覚えるほどです。東成田駅と第2ターミナルを結ぶ通路があるものの、その長さは約500m。成田空港へのアクセスで東成田駅を利用する人はほとんどいません。

将来の九十九里浜延伸を想定していた?

 不便な状態が十数年ほどで解消されたのはけっこうなことですが、それならなぜ、最初から第1ターミナルや第2ターミナルに直結できる場所に建設しなかったのでしょうか。

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現在の成田空港駅は成田新幹線用に建設された施設を活用。空港ターミナルに直結している(2010年8月、草町義和撮影)。

 京成は成田空港に乗り入れるだけでなく、空港からさらに九十九里浜方面に延伸することを考えており、そのため旧・成田空港駅がいまの位置になったと言う人がいます。たとえば、成田空港の開港1年前の1977(昭和52)年3月14日、運輸省鉄道監督局の住田正二局長(のちの運輸事務次官、JR東日本社長)は衆議院予算委員会第6分科会で、以下のように答弁しています。

「京成電鉄の空港線の延長の問題でございますけれども、昔、空港線をつくるというときに、将来九十九里浜の方へ延ばしたいというような構想は聞いております。しかし、最近、京成電鉄からあの空港線を延長したいというような具体的な話はまだ一切聞いておりません」

 そこで地図を見てみたところ、京成成田~第2ターミナル~第1ターミナルのルートで建設して九十九里浜の方へ伸ばそうとすると、曲線が多くなりそうな感じです。これに対して旧・成田空港駅からなら、九十九里浜の方へ比較的真っすぐ進むことができそうです。延伸しやすい位置に建設されたことは確かです。

 実際、成田空港と滑走路の南側に位置する芝山町までを結ぶ鉄道の構想が、成田空港の計画時から浮上していました。2002(平成14)年10月には、東成田~芝山千代田間を結ぶ芝山鉄道が開業し、京成線と芝山鉄道線の相互直通運転が開始。いまでは芝山鉄道線を九十九里浜の蓮沼海岸(千葉県山武市)まで延伸する構想もあります。

免許申請書類に「九十九里浜」の記載なし

 しかし、京成は九十九里浜への延伸を本当に考えていたのでしょうか。国立公文書館が所蔵している鉄道計画の申請書類などを確認したところ、おかしな点がいくつかありました。

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芝山千代田駅の少し先で途切れている芝山鉄道線の高架橋。ここから九十九里浜方面への延伸構想がある(2018年5月、草町義和撮影)。
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芝山千代田駅の近くには芝山鉄道線の延伸を求める看板が設置されていた。現在は撤去されている(2002年11月、草町義和撮影)。

 新しい国際空港を成田市三里塚に建設することを政府が閣議決定したのは、1966(昭和41)年7月のこと。東京都心と新空港を結ぶアクセス交通として、高速道路の整備と「高速電車」の運行(のちの成田新幹線計画)も同時に決まりました。

 しかし、東京都心と成田を結ぶ鉄道路線を運営していた京成が、これに食指を動かさないはずはありません。閣議決定から2年後の1968(昭和43)年12月12日、京成は京成成田駅から成田空港まで全長7.29kmの地方鉄道免許を申請。翌1969(昭和44)年11月7日に免許されました。

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免許申請時の線路予測平面図(京成成田~京成成田起点5km地点)(国立公文書館所蔵/草町義和撮影)。

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Writer: 草町義和(鉄道ライター)

1969年、新潟県南魚沼市生まれ。鉄道趣味誌で列車の乗車ルポや幻の鉄道(未成線)の散策記などを多数発表してきた。著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。趣味はアサガオ、ゴーヤの栽培。

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