【ちょっと昔の欧州鉄道旅行】国際夜行列車「シティ・ナイト・ライン」の2階建て寝台車

欧州では多数の夜行列車が運行されていますが、高速鉄道や飛行機の発達により衰退しています。かつて夜行列車の復権を目指して欧州で運行された、「シティ・ナイト・ライン」を紹介します。

欧州でも衰退した夜行列車

 東のロシア・モスクワから西のポルトガル・リスボンまで、欧州大陸の鉄道ネットワークには、いくつもの国をまたいで直通する国際列車が走っています。そしてそのなかには、何泊もしてようやく目的地に到着する夜行列車もあります。

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チューリヒ中央駅の17番線で発車を待つCNL「ベルリナー」の2階建て寝台車。手前の大きくロゴが描かれた車両は通路側、奥の車両は寝室側になる(2007年9月、前里 孝撮影)。

 日本ではすっかり過去の存在となりつつある夜行列車ですが、かの地でも高速列車や高速路線の拡充により、この10年でその数は大幅に減ってしまいました。けれど、例えばモスクワからフランスのニースまで約3000kmを、ベラルーシやポーランド、チェコ、オーストリア、スイス、イタリアの6か国を48時間で駆け抜けるロマンチックな列車も、まだまだ存在しています。

 今回から「ちょっと昔の欧州鉄道旅行」と題し、かつて欧州を走り抜けた夜行列車「シティ・ナイト・ライン(City Night Line=CNL)」に乗車したときの体験を数回に分けて紹介します。

欧州3国の共同出資で運行会社誕生

 CNLは1995(平成7)年、ドイツ鉄道、スイス国鉄、オーストリア国鉄の出資により設立された会社が運行をスタートさせた列車。寝台車やサービススタッフは、共同出資会社「D.A.CH Hotelzug AG」が用意したものです。

「D.A.CH」は、出資した国の頭文字であるD=ドイツ、A=オーストリア、CH=スイスを組み合わせた造語。「Hotelzug」とはドイツ語で、日本語に訳せば「ホテル列車」です。AGは株式会社を意味します。本社事務所はスイスのベルンに置かれました。

 その後、CNLという列車は目まぐるしい変化を遂げています。歴史に翻弄(ほんろう)されたといってよいかもしれません。

 まず、わずか2年でオーストリア国鉄が出資者から抜けました。これに伴い、会社名は「City Night Line CNL AG」に変更されています。1999(平成11)年にはスイス国鉄も抜けて、ドイツ鉄道の子会社「DB Reise & Touristik AG」の完全子会社になるという、経営上の大きな変化がありました。

 車両面では、当初は1~2人用と4人用寝室を備えた2階建寝台車、大きくリクライニングする腰掛けを備えた座席車「スリーパレット」、簡易寝台車「クシェット」、そして自転車を積み込むことができる荷物車や、クシェットと荷物車の合造車が加わりました。食堂車とラウンジ車も最初から用意されていましたが、その内容は目まぐるしく変化しています。

 ただ、オーストリア国鉄が共同出資から抜ける際、2階建て寝台車を引き取っています。ドイツ鉄道も、2階建て寝台車の一部をCNLから自社の夜行列車部門に移籍させました。どちらもロゴマークや塗装はそれぞれの鉄道の仕様に変更されました。

 1995(平成7)年夏ダイヤから運転を開始した最初の2列車の列車の運転区間は、ウィーン~ドルトムント間の「ドナウクリーア(Donaukurier)」とウィーン~チューリッヒ間の「ウィンナーワルツァー」。同年9月にはチューリッヒ~ハンブルク間の「コメット(Komet)」も加わりました。

 そして1996(平成8)年夏からは、チューリッヒ~ベルリン間を結ぶ「ベルリナー」も新設され、4往復体制となりました。その後は需要に応じて増減や変更を繰り返すことになります。

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Writer: 前里 孝(鉄道誌編集者)

1953年、大阪生まれ。幼いころに三線式Oゲージを買い与えられたことが鉄道の趣味にのめり込む直接のきっかけとなった。以来、鉄道のみならず地理歴史建築土木……関連の分野にも広く関心を持ち続けている。長年にわたりエリエイで出版編集販売業務に携わってきた。現在は同社顧問。シリーズ書籍「レイル」編集主幹。

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