台湾に残る「昭和日本」 昔ながらの駅舎や手動扉の客車が健在 C57も走る

日本最西端の与那国島からわずか約100kmしか離れていない台湾。そこには昔懐かしい「昭和日本」の鉄道の姿がいまも残っています。

日本が整備した台湾の鉄道ネットワーク

 国鉄がJRとなって30年が経ち、日本の鉄道からは昭和の面影が多く失われました。しかし、実は身近な場所に、まだ昭和の香りがいまだ漂う鉄道があります。日本の隣の島、台湾です。

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台湾南部で今も毎日運転されている、日本製旧型客車を使った「普快車」(2012年7月16日、白川淳撮影)

 第2次世界大戦前、この地は日本により統治されていた時期があります。1887(明治20)年に清朝政府により建設が始まった台湾の鉄道史ですが、1894(明治27)年の日清戦争後は日本の管理下に置かれたため、日本の在来線と同じ1067mm(一部762mm)の軌間を採用。まず西海岸を南北に貫く路線の建設が進められました。1908(明治41)年には北の基隆から台北を経て南の高雄までが全通し、島の交通軸が完成しました。

 車両も、初期には明治初めに新橋~横浜間の鉄道で使われた創業時の機関車が持ち込まれました。その後、日本の国有鉄道の規格形を中心とした蒸気機関車や客車、気動車などが次々と導入されていきました。

 こうして日本に準じる鉄道としてインフラ整備が進められたため、台湾の鉄道には、いまも日本時代の面影が色濃く残されているのです。

日本人技師が設計した駅舎が多数残る

 鉄道の旅の入り口となる「駅」。近年、地下化や高架化された場所も多いのですが、昔のたたずまいを残してくれているところも、たくさんあります。

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古い木造駅舎がそのまま残る集集駅は、休日には多くの観光客でにぎわう(2012年7月15日、白川淳撮影)

 例えば、台中の南を走る支線の集集線です。路線の中心地・集集駅は、1922(大正11)年に建てられた総ヒノキ造りの木造駅舎が使われています。実は1999(平成11)年の「921大地震」の際に崩壊してしまったのですが、日本時代の優美な駅舎を愛する人々の呼びかけで修復が決まり、かつての姿を取り戻しました。

 切符売り場では懐かしい硬券が売られており、ダッチングマシンで日付も印字してくれます。また乗車前に頼めば、パチパチと響く音が郷愁を感じさせる改札鋏(かいさつきょう)で、パンチも入れてもらえます。ラッチ式の改札口を通り抜ければ、素朴な造りの島式ホームが目の前に。ごう音を立てて走る気動車に揺られた、昭和の時代のローカル線の旅がいまも体験できます。

 このほか、通称「海線」と呼ばれる海岸線(縦貫線)には、建設後100年を超えた駅舎が談文、大山、新埔、日南、追分の各駅に残り、「台鉄海線五宝」とたたえられています。こうした駅の多くに、いまだ駅員が配置されているのも嬉しいことです。

 また、日本人技師が設計した石組みや鉄骨構造の風格ある駅舎が嘉義駅や台南駅に残されており、1913(大正2)年に完成した台湾現存最古の駅舎である新竹駅も未だ健在です。貴重な物件として国定遺跡(重要文化財)に指定のうえ、同時期に完成した東京駅と2015年に姉妹駅提携も行われました。

 一方、駅の橋上化や高架、地下化で廃止となった駅舎も、町の歴史を彩る文化財として数多く残されています。基幹駅となる台中、高雄の両駅のほか、台北近郊の七堵や新北投、山佳の各駅などでは現用駅舎の近くに移設し、大切に保存されている日本統治時代の駅舎をいまも見ることが出来ます。

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Writer: 白川 淳(旅行・鉄道ライター、鉄道史研究家)

東京都生まれ。日本や世界の鉄道を取材するほか、エコツアーにも詳しい。鉄道や野生動物を求め、南極、北極圏を含む世界各地、120以上の国や地域を訪れる。雑誌各誌への執筆のほか、TBS系放映の番組『the 世界遺産』の鉄道関連監修を担当。著書に『全国鉄道博物館』(JTBパブリッシング刊)、『御召列車』(マガジンハウス刊)など多数。

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