【鉄道車両のDNA】画期的なオールステンレス車 東急電鉄7000系

いまでは当たり前となった銀色のステンレス車両ですが、これを古くから導入していたのが関東大手私鉄の東急電鉄です。ステンレス車の基礎を築いた東急7000系(初代)の歴史をたどります。

JRの工場に展示されている東急の車両

 JR東日本グループの総合車両製作所(J-TREC)横浜事業所には、2両の「東急車輌産業遺産」が展示されています。 1両が東急電鉄の5200系、そしてもう1両が同じく東急の7000系(初代)です。

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水間鉄道に譲渡された東急7000系の大半は1000形に改造。現在残っている写真の7003編成は休車中だ(2015年1月、草町義和撮影)。

 J-TRECはJR東日本の車両製造部門と東急電鉄グループの東急車輌製造を統合する形で設立された、鉄道車両メーカー。工場は新潟市内と横浜市内の2か所にあり、このうち横浜市内にある横浜事業所が、かつての東急車輌の工場でした。 

 5200系と7000系、このふたつの車両は東急にとってエポックメイキングとなる車両でした。そのうち東急7000系は、1961(昭和36)年から1965(昭和40)年にかけて134両も量産され、東急電鉄にステンレス車両が投入される基礎を作った車両でした。今日の東急電鉄に流れる車両のDNAを作った7000系とは、どのような車両だったのでしょうか。

米国メーカーとの技術提携により開発

 東急車輌は戦後にいわゆる"大東急"が解体した後、「青ガエル」の相性で親しまれた5000系(初代)を1954(昭和29)年から1959(昭和34)年にかけて105両製造しました。5000系はモノコック構造を採用し、車両の大幅な軽量化と静音化に成功。東急を引退してからも地方私鉄に人気で、各地で使用されることになりました。

 その後、東急車輌はさらなる技術革新に取り組みます。これまで車体に用いていたタイプの鋼はさびが発生するため、部材も厚くし、さび止めを塗る必要がありました。そこで、さびない金属として「ステンレス」に着目します。ステンレスは鉄にクロムやニッケルを加えたもの。さびを抑えることで部材を薄くすることによる軽量化、そしてさび止めとしての役割があった塗装も不要という利点がありました。

 そこで東急車輌は、5000系の設計をベースとして車体の外板のみステンレス車両としたセミステンレス車両として5200系を1958(昭和33)年に4両製造し、続いて設計を変更した車両として6000系を製造します。こちらは主に前面貫通式かつ両開きドアとしたことが特徴で、1960(昭和35)年から翌年にかけて20両が製造されました。

 しかし、これらのセミステンレス車両は本格的な量産には至りませんでした。また、骨組みや台枠まで含めてステンレスとしたオールステンレス車両はまだ実現していませんでした。そこで東急車輌は1934(昭和9)年からステンレス車両を製造しているアメリカのバッド社と提携します。1959(昭和34)年に締結されたこの技術提携により、オールステンレスの画期的な車両づくりが行われます。

 その結果、1961(昭和36)年に生まれたのが7000系でした。

オールステンレス車体のほかにも新技術を採用

 では、7000系について詳しく見ていきましょう。

 まず車体ですが、従来のセミステンレス車両から大きく進化しました。従来の外板だけではなく、骨組みや屋根、そして台枠にまでステンレスが使われることになります。

 そして従来、側面は「く」の字型でしたが、7000系では垂直となり、コルゲートは腰下に収められ、スッキリとした印象になりました。長さは当時東急の標準だった18m級で、床、連結面、屋根が低く設定されています。これは乗り入れが計画されていた地下鉄日比谷線の規格が考慮されたものでした。

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Writer: 鳴海行人(まち探訪家・フリーライター)

1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」や「公共交通×IT最前線レポート」などで交通やまちに関する記事を執筆中。趣味はローカル私鉄やローカルバスに乗ること。

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