【鉄路の脇道】鉄道全線「完乗後」の旅はどう変わったか
「完乗後」の旅がどう変わったのか、どう変えたのか。JR全線完乗を果たした筆者が語ります。
旅の目的「未乗区間」が無くなった!
どこに行ったらいいのか、分からなくなるのではないか……。
これはJR全線完乗以前に想像していた「その後」のことです。完乗を目的にした旅行を繰り返しているときは、旅のなかで一番重要な「どこへ行こう」を考えずとも済んでいました。目的地すなわち未乗区間だったからです。
しかし完乗によって所与の目的地から解放され、どこにだって行ける身分になります。いきなり「好きなところに行っていいんだよ」と無限の可能性のなかに放り投げられても、困り果てるのではないだろうか。優柔不断な性格も手伝って、こんなことを考えていました。
直感的な緩い旅へ
しかし、先立つ不安は杞憂(きゆう)に過ぎませんでした。私がJRを全線完乗したのは2015年1月。そして、完乗後に初めて旅に出た翌2月には、楽しく夜行バスに乗っていました。
その頃の私は仕事の関係上、頻繁に東京駅八重洲南口をうろついていました。皆さんはあそこに何があるかご存知ですか。長距離バスのターミナルです。昭和の時代であれば東京駅ホームで、たくさんの行き先に心をときめかせていたことでしょうが、今はそれがバスへと移り変わっています。
もともと私は、遠くへ行く列車に恋い焦がれたことを端緒として鉄道趣味にのめりこんでいきました。乗り物は違えども、さまざまな行先を示すバスを見たら、憧れざるを得ません。その場のノリだけで目的地を決めて、乗車券を購入して、夜行バスに乗りたい。情念が爆発し、東京駅八重洲南口21時20分発、羽後本荘駅前6時20着のドリーム鳥海号に乗っていたのでした。
もっとも、長年ち密な行程のもとに旅を敢行していた身ですので、その癖は抜けません。気の赴くままバスに乗るのはかなわず、あらかじめウェブ予約システム「発車オ~ライネット」で乗車券は確保するという用意周到な旅の始まりでありました。
早朝、羽後本荘に到着したのちは、途中行程をはしょりますが、五能線に乗りました。
未乗区間があったときは、おはようからお休みまでひたすら乗る精神で、ハードに乗り歩いていましたが、そんな必要はありません。夜明け前に宿泊地を発ち、とっぷりと日が暮れた後の投宿ともお別れです。そんなわけで12時26分着のウェスパ椿山に宿を取っていました。これで移動を終わらせて、「あとは適当に過ごそう」という考えです。
五能線は、秋田県から青森県にかけて走る路線で、全区間の約6割を日本海側に沿って走ります。観光列車「リゾートしらかみ」も運行し、絶景路線として有名です。しかしここは2月の平日の普通列車。車内は貸し切り状態でした。私は異物というか珍客というか、いつもの景色にそぐわない人に該当します。
残り2883文字
この続きは有料会員登録をすると読むことができます。
Writer: 蜂谷あす美(旅の文筆家)
1988年、福井県出身。慶應義塾大学商学部卒業。出版社勤務を経て現在に至る。2015年1月にJR全線完乗。鉄道と旅と牛乳を中心とした随筆、紀行文で活躍。神奈川県在住。