【鉄道車両のDNA】新潟トランシスの軽快気動車「NDC」 ローカル線の標準車に成長

国鉄ローカル線の経営を引き継いだ第三セクターの多くは、転換にあわせて新型のディーゼルカー(気動車)を導入しました。これら気動車のなかでとくに多いのが、新潟鉄工所(現在の新潟トランシス)の軽快気動車「NDC」です。

第三セクターと共に登場した軽快気動車

 1980(昭和55)年に公布された日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)に基づき、多くの赤字ローカル線が「特定地方交通線」に指定されました。特定地方交通線に指定された路線は、地元と協議したうえでバスに転換するか、あるいは沿線の自治体が出資する第三セクターなどが鉄道の経営を引き継いで再スタートを切ることになったのです。

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国鉄明知線を引き継いだ明知鉄道のアケチ100形。新潟トランシスが製造した最新のNDCだ(2018年7月、鳴海 侑撮影)。

 しかし、元々は国鉄の不採算路線です。第三セクター化によって鉄道の存続を図る場合、経営を成り立たせるためには人件費や運転費などのコスト切り詰めが必要になりました。

 こうした時代背景のなかで登場したのが、富士重工業と新潟鉄工所が製造した「軽快気動車」です。軽快気動車はワンマンでの運行、そして車体の軽量化、イニシャルコストの削減を目標として開発されました。また、この背景には国鉄からの新しい気動車生産の受注が見込めなかったこともありました。

 軽快気動車の開発で先行したのは富士重工でした。同社は1950~1960年代、バス部品を多く利用した小型気動車「レールバス」を製造して地方の鉄道に納入した実績があり、再びバス部品を多く利用した気動車として「LE-Car」を開発します。

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NDCに先駆けて開発された富士重工LE-Carはバスをベースに開発された。写真はLE-Car IIベースの明知鉄道アケチ6形(左手前)(2018年7月、鳴海 侑撮影)。

 バス部品を使った理由としては、バスは気動車よりも製造台数が多く、部品が安価に手に入ることが大きく、また、バスの販売網は全国に展開されているため、部品の調達が容易だったことが挙げられています。

 こうして1982(昭和57)年に製造された試作車は、車体もエンジンもバス用のものが採用されました。ここでは富士重工がバスも製造していた強みを生かしたことが分かります。この試作車は大きな話題を呼び、国鉄や大手民鉄のローカル線での運用が構想され、入線試験も行われたといいます。

 そして1984(昭和59)年、改良を加えた「LE-Car II」が登場。貫通式の前面や観光バスタイプの側窓が採用されました。同年には名古屋鉄道(名鉄)がLE-Car IIベースの気動車を八百津線に投入。特定地方交通線を引き継いだ第三セクターでは、岐阜県の樽見鉄道が非貫通で観光バスに近い車体のLE-Car IIを投入しました。

 これに対して新潟鉄工は、LE-Carとは異なるスタイルの気動車を開発しました。

三陸鉄道と神岡鉄道への納入を経てローカル線の標準車両に

 樽見鉄道に先駆けること半年前の1984(昭和59)年4月、国鉄から転換した第三セクター鉄道の第1号として三陸鉄道が開業します。その三陸鉄道の気動車として富士重工と新潟鉄工の双方が製造したのがキハ36-100形で、国鉄車両との併結も前提とした設計で製造されました。そのため、国鉄型気動車に非常に近い構造をしていました。

 新潟鉄工はその後、国鉄神岡線を引き継いだ神岡鉄道(2006年廃止)のKM-100形とKM-150形を製造します。これは三陸鉄道の国鉄各線を引き継いだ三陸鉄道の36-100形と同じ国鉄型気動車をベースにしており、台車などには廃車になった車両から持ってきたものを使ってコストダウンを図っています。バス部品を積極的に利用した富士重工に対し、新潟鉄工は国鉄型をベースとしたのです。

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Writer: 鳴海 侑(まち探訪家・フリーライター)

1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」や「公共交通×IT最前線レポート」などで交通やまちに関する記事を執筆中。趣味はローカル私鉄やローカルバスに乗ること。

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