【鉄道車両のDNA】ゴムタイヤと自動運転「新交通システム」開発の歴史
いまではゴムタイヤの車両が自動運転で走る鉄道というイメージが強い「新交通システム」。しかし日本で開発が始まったころは、鉄道とは似ても似つかぬシステムも新交通システムの一種として研究されていました。「連続的」な輸送システムに鉄道のDNAが注入されていった歴史をたどります。
「動く歩道」も新交通システム?
いわゆる「新交通システム」は、日本では「ゴムタイヤで駆動する小型の車両が、専用の通路を走る乗りもの」というイメージがあります。なかには「運転士が乗らない無人自動運転の鉄道」というイメージを持っている人もいるでしょう。しかし本来、この言葉はもっと広い意味があります。
「新交通システム」は1968(昭和43)年、米国のジョンソン大統領が大都市交通問題を解決するために議会に提出したレポート「Tomorrow's Transportation」から注目されるようになりました。当初は大都市交通のさまざまなシーンにおける輸送問題を解決するための新しい輸送システムとして研究が始まっており、実は多くの輸送手段を内包しています。たとえば1970(昭和45)年の大阪万博で注目された「動く歩道」も、新交通システムのひとつといえます。
大阪万博の閉幕後しばらくは、さまざまなアプローチから新交通システムの研究が進みます。たとえば東京芝浦電気(現在の東芝)が開発した「ベルチカ」は動く歩道の発展系。ベルトコンベアの上をカプセルが動くという輸送システムで、運転間隔が短い連続的な輸送システムでした。これに近いもので日本コンベアが開発した「カーレーター」は実用化されましたが、どちらかと言えば勾配を克服する輸送システムであり、広がりを見せることはありませんでした。
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Writer: 鳴海 侑(まち探訪家)
1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」をはじめ、複数のwebメディアでまちや交通に関する記事を執筆している。