戦争に翻弄された路線、京急武山線 その歴史と現況

戦前に建設が進められながらも、開業に至らなかった路線があります。それが横須賀線衣笠駅と横須賀市の林地区を京急武山線です。いったいどのような経緯があったのでしょうか。残された資料や現況の写真とともに武山線を見ていきます。

軍人輸送を目的に計画・着工

 神奈川県の南東側に突き出す三浦半島。歴史的経緯から東側が大きく栄え、鉄道も主に東側に寄っています。しかしながら、三浦半島と都心を結ぶ私鉄、京急電鉄は三浦半島を一周する鉄道計画を構想しており、いくつもの幻の鉄道未成線があります。その中でもひとつ、少し変わった経緯で計画・着工されたものの、中止になった路線がありました。

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JR横須賀線の衣笠駅。京急バスが多く発着する。京急武山線は、林地区と衣笠駅との間で開業する予定だった(2019年9月、鳴海 侑撮影)。

 1942(昭和17)年、京浜急行電鉄は1938(昭和13)年に施行された陸上交通事業調整法に基づき、東京横浜電鉄、小田急電鉄と合併し東京急行電鉄の一部となります。いわゆる「大東急」の時代のはじまりです。この頃、日中戦争や太平洋戦争の進展により、各地に様々な軍事施設が作られました。

 軍港横須賀を抱える三浦半島にももちろん軍事施設が作られていくことになりますが、そのうちのひとつが1941(昭和16)年に三浦半島の西側に作られた武山海兵団でした。海兵団とは海軍の新兵教育を行う機関のことで、人員の急増により、第二海兵団として武山に教育施設が作られたのです。

 しかし、この武山海兵団はアクセスがネックでした。いくら横須賀の軍港近くに作られたとはいえ、三浦半島の東と西を結ぶ交通機関はバスがメイン。鉄道路線はなく、海軍は軍人輸送などを行う鉄道路線がほしいと考えました。そこで東京急行電鉄に白羽の矢が立てられ、鉄道路線が計画されます。それが「東急武山線」、のちの「京急武山線」でした。

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武山線(図中青線)も含めた三浦半島における京急電鉄の建設予定線はこのような位置関係だった。このうち現在までに開業したのは黄色の線の久里浜~飯森(現在の三崎口駅)だけだ(国立公文書館蔵)。

 武山線は武山海兵団がある林から国鉄横須賀線の衣笠駅を結ぶ路線として計画され、1944(昭和19)年5月に免許を申請します。

 元々東京急行電鉄としては横須賀からトロリーバス2系統を横須賀市内に走らせる予定でしたが、輸送人員の激増や横須賀線の久里浜延伸開業を理由として、武山線の建設が必要であるとします。

 さきに述べたような軍事的な要請もあり、免許は異例の速さで下付されます。それが1944(昭和19)年12月のことでした。

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海軍横須賀鎮守府から東京急行電鉄宛てに出された武山線の建設を急ぐように指示した文書(国立公文書館蔵)。

 その後、建設に向けた準備が進められ、建設認可が下りたのが1945(昭和20)年8月9日のこと。これを受けて建設が始まったのが1945(昭和20)年8月15日のことでした。この日は、日本がポツダム宣言受諾を国民に周知した「玉音放送」が流された日でした。その後、武山線の建設はしばらくの間進み、用地確保は最終的に70%まで進み、橋梁の工事や土木工事も30%ほど進みました。しかし、そもそもの目的である軍人輸送もなくなったことや、資材難や工事費の高騰により、中断してしまいます。

武山線の建設計画とは

 武山線の建設計画を詳しく見てみましょう。

 全長は6.1km、最急勾配は28パーミル、最小カーブ半径を200mとし、両端と途中1駅で交換可能としました。直流600Vによる電化が計画され、変電所は林に置く予定でした。ただ、規格は1500Vの路線と同じ規格にしていたことから、将来的な昇圧を計画していたようです。軌間もそうで、1435mmの計画でした。これに対して海軍から貨物輸送の連絡から横須賀線に併せた1067mmにしないのかという意見もあったようですが、軌間を広げるよりも狭くする方が簡単ということで1435mmによる計画で認可されています。

 運行計画については片道15分をかけ、朝5時台から夜は24時台まで終日20分ヘッドによる運行となる予定でした。3編成を運用に充当することから、当初は5両の電車を新造する予定でした。しかし、戦争で被災した車両の製造を急がなくてはいけないこともあったのか、箱根登山鉄道からチキ1形(その後のモハ1形)3両を持ってきて運行する計画に変更されています。輸送人員は1日に約1万人を想定していました。

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Writer: 鳴海 侑(まち探訪家)

1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」をはじめ、複数のwebメディアでまちや交通に関する記事を執筆している。

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