史上最速 仏駆逐艦「ル・テリブル」の俊足 旧海軍「島風」より速いギネス記録45ノット

活動の場は大西洋から地中海へ 大戦後はアジアにも

 第2次世界大戦勃発時は新鋭駆逐艦として、おもに大西洋で活動していた「ル・テリブル」は、フランスがドイツに降伏したあとも、いわゆるヴィシー・フランス政府の下、フランス海軍艦艇として活動を続けました。

 そのため、一時はイギリス艦隊とも戦火を交えることになりましたが、そののち、連合国軍の一員として戦っていたド・ゴール将軍が指揮する自由フランス軍の指揮下に入ります。

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1943年5月、近代化改装のためにアメリカ東海岸のボストン海軍工廠に到着した「ル・テリブル」(画像:アメリカ海軍)。

 それにともないアメリカにおいて1943(昭和18)年2月、アメリカ製の高性能ソナーやレーダーの搭載、対空機銃の増設、燃料タンクの容量増加といった近代化改装を受けます。

 この改装によって「ル・テリブル」は、排水量が約500トンほど増えましたが、それでも最大速力は40ノットを維持しています。またアメリカやイギリスの基準に合わせて、艦種が駆逐艦から軽巡洋艦に変更されました。

 半年後の1943(昭和18)年7月に前線へ戻った「ル・テリブル」は以後、大戦終結まで一貫して地中海で活動を続けました。イタリアや南フランスへの上陸作戦や、アドリア海でのドイツ輸送船団への攻撃などを行った後、1945(昭和20)年の終戦を迎えます。

 戦後は一時、予備艦になりますが、「高速護衛艦」に種別変更され現役復帰を果たすと、フランス領インドシナ(現在のベトナム、カンボジア、ラオス)に派遣され、現役から外れた後も1962(昭和37)年1月まで、海軍学校にて後進の教育に貢献しました。

「ル・テリブル」は1935(昭和10)年から1962(昭和37)年まで、27年間にわたって海軍艦艇として使用されました。旧日本海軍の駆逐艦「島風」が1943(昭和18)年5月に就役し、1944(昭和19)年11月に戦没するまでわずか1年半しか存在しなかったことと比べると、ずっと長生きだったといえるでしょう。

【了】

【写真】旧海軍随一の俊足艦だった駆逐艦「島風」

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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コメント

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1件のコメント

  1. 動力にはどんなテクノロジーが使われていたのでしょうね?