どうしたら「鉄道写真家」になれるのか? 運命の「さよならはつかり583系号」

特に求人や資格があるわけでもない「鉄道写真家」という仕事。どうしたらなれるのでしょうか。村上悠太さんが自身の経験を元に語ります。鉄道写真家になる経緯は人それぞれですが、ポイントや、「プロ」として大切なことがあるようです。

中学3年 強かった一眼レフカメラへの憧れ

 前回は、僕(村上悠太:鉄道写真家)の仕事内容を紹介しましたが、いかがだったでしょうか!? 2本目となる今回の記事では、僕がどうやって鉄道写真家になったのかというお話をしていきたいなと思います。

 僕が初めて一眼レフカメラを持ったのは2002(平成14)年 、中学3年の頃。本格的に写真に挑戦してみよう!と決心し、貯金を使ってキヤノンのEOS Kiss IIIというフィルムカメラを購入しました。

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僕がほぼ初めて撮った鉄道写真。いま見れば順光ではないし、車両後方は切れていて完成度は低いが、望遠レンズで覗いた構図は鉄道雑誌のような画で興奮した。

 当時はデジタルカメラもすでに一般的でしたし、デジタル一眼レフカメラも登場したての頃です。ただ、デジタル一眼レフについてはまだ先進的なカメラだったということもあり、当然いまのような価格帯ではなく、フィルムカメラの最上位機種よりも高いくらいの価格だったと記憶しています。

 コンパクトデジタルカメラもいいかな、と思ったのですが、やはり一眼レフカメラへの憧れが強かったので、カメラと標準ズーム、望遠ズームのセットを購入しました。キヤノンを選んだ理由ですが、他機種とスペックを吟味したというよりは、「シャッター音が好き!」というとっても単純な理由でした。

むしろ落選ばかりだった鉄道写真

 一眼レフカメラを購入してからは、一気に鉄道写真の世界にのめり込みます。それまで、これといって特技がなかった僕にとって「写真」は、ひとつのアイデンティティになりました。高校に入ってからは、鉄道雑誌やカメラ雑誌へ積極的に投稿し、毎月、採用されているかその結果を見に本屋さんへ行くのがとても楽しみでした。

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高校時代の写真たち。雑誌投稿を考えていたのでカラーリバーサル(ポジ)フィルムでの撮影にこだわっていた。モノクロはいまもほとんど使用していない。

 徐々に掲載がコンスタントになると、どこかで「プロになりたい」という思いが芽生え始めます。好きなことを仕事にしたいという気持ちと、自分ができることで世の中や誰かの役に立ちたいという気持ちが、僕に「プロの鉄道写真家になるんだ」という夢を具体化させる道へ誘いました。

 ちなみに僕は、誌面投稿や月例のフォトコンテストには何回か佳作入賞や採用をしていただいたものの、実は金賞などの上位賞や、年に一度だけ行われるような大きなフォトコンテストでの入賞経験はありません。学生時代全体を振り返っても、北海道東川町で夏に開催されている「写真甲子園」に、高3の夏に関東代表で出場したのが最高の賞です。

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高校3年生で出場した「写真甲子園」本戦大会中の村上少年。2019年、2020年大会は審査委員として「写真甲子園」に帰ってくることができた。

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Writer:

1987年生まれでJRと同い年、鉄道発祥の地新橋生まれの鉄道写真家。車両はもちろん、鉄道に関わる様々な世界にレンズを向ける。元々乗り鉄なので、車でロケに出かけても時間ができれば車をおいてカメラといっしょに列車旅を楽しんでいる。日本鉄道写真作家協会会員、キヤノンEOS学園講師。

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