旧日本海軍の記事一覧
-
もし戦艦「大和」やめてたら? 海に消えた“国家予算の約1割”で一体なにを作れたのか
史上最大の戦艦である大和型戦艦。1隻で国家予算の4.3%を占めた巨大戦艦だけに、大和を建造せずほかの開発などに振り向けたら――という定番イフがあります。何がどれくらい作れたのか、見ていきます。
-
零戦に比肩する傑作機「ぜろかん」旧海軍の“名バイプレーヤー”が現代に甦る! 発注元は広島の観光名所
太平洋戦争において旧日本海軍航空隊で偵察や着弾観測に使われ、戦艦「大和」などにも搭載された「零式観測機」。その実物大模型の製作が茨城県で始まったので現地へ行き、さっそく同機を見てきました。
-
「日本一の戦闘機作れないなら、サーキットで世界一に!」理系のスーパーエリートが手掛けた日本の名車3選
第二次世界大戦の敗戦によって飛行機開発の夢を閉ざされた日本の航空技術者たち。戦後、そんな彼らが職を求めたのが黎明期の自動車産業でした。なかでも代表的な航空技術者3人と、彼らの手掛けた名車を紹介します。
-
潜水艦メシ「自衛隊一美味しいってホント?」火使えないのにステーキの提供も じつは戦艦・空母よりハイテクだった!?
「海の忍者」とも形容される潜水艦。深海まで潜れる特性ゆえに状況次第では浮上せずに長期間、陽の光を浴びずにすごすことも。艦内は密閉状態で、任務は長期間に及ぶため一体どうやって乗員らのご飯は提供されているのでしょうか。
-
戦艦「長門」を捕鯨母船に!? 代わりに白羽の矢が立った知られざる武勲艦たち「飢餓状態の日本を救え!」
9月4日は「くじらの日」です。大戦後、食料事情のよくなかった日本で貴重なたんぱく源として重用されたのがクジラでした。ただ、戦争によって日本は捕鯨船にも事欠く有様。そこで白羽の矢が立ったのが3隻の軍用輸送艦でした。
-
80年前の悲劇 学童疎開船「対馬丸」はなぜ沈んだ?【後編】日米で明らかに異なる扱いの差 なんと米潜水艦は“英雄”待遇
第二次世界大戦末期の1944年8月、沖縄県出身者を多数乗せた民間船「対馬丸」が鹿児島県近海で沈没しました。同船が沈むまでの一部始終と、攻撃を加えた米潜水艦について前後編にわけて解説します。
-
80年前の悲劇 学童疎開船「対馬丸」はなぜ沈んだ?【前編】攻撃されても「味方はスルー」の本意
第二次世界大戦末期の1944年8月、沖縄県出身者を多数乗せた民間船「対馬丸」が鹿児島県近海で沈没しました。同船が沈むまでの一部始終と、攻撃を加えた米潜水艦について前後編にわけて解説します。
-
2度あることは… 3度の大破を生き抜いた旧海軍の幸運艦 ミュージカル上演は所縁の地で
『この世界の片隅に』のミュージカルが上演された広島県呉市。作中には重巡洋艦「青葉」が登場しますが、「青葉」はまさに呉に縁がある軍艦です。外洋で損傷するたび呉に帰り着き、最期もここで迎えました。
-
旧海軍の空母「天城」軍艦としては実績なし! でも国土復興には役立った? 敗戦後の意外な転用先
終戦後、広島の呉を視察したアメリカ海軍が撮った旧海軍艦艇の映像があります。その中でも目立つ艦艇のひとつが、海面で横倒しになった空母「天城」です。戦中は一度も使われませんでしたが、戦後は別の方法で役立ちました。