日本側大敗の危険もあった!? 史上初の空母決戦「珊瑚海海戦」とは 実は大勝すればその後の戦況も変わっていたかも?

史上初の空母同士の戦いとなった「珊瑚海海戦」ですが、戦争にどのような影響を与えたのでしょうか。

史上初の空母同士による海戦

 太平洋戦争序盤、日本は真珠湾攻撃とほぼ同時に、米英蘭が支配する東南アジアへの侵攻作戦を実行しました。この作戦は予想外の成功を収め、開戦からわずか1か月ほどで資源確保を前提とした攻略作戦に一定の目途が立ちます。そこで次の攻撃目標として、「オーストラリアを孤立させ、戦争から脱落させる」ことを狙った戦略方針、いわゆる「米豪分断作戦」が模索されるようになりました。

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珊瑚海海戦で回避行動を取る「翔鶴」(画像:アメリカ海軍)

 その一環として、1942年1月29日付の「大海指第四七号」により、ニューギニア島およびソロモン諸島の攻略が決定されます。この作戦では、ニューギニア島東部のラエ、サラモアを攻略した後、同島南東部のポートモレスビーを陥落させるべく、4月から大規模な侵攻作戦を実施する予定でした。

 3月8日、日本軍はラエおよびサラモアの攻略に成功します。しかし3月10日、アメリカ空母部隊による空襲で、作戦中の艦船18隻のうち4隻が沈没、残りの艦船もすべて損害を受けるという大打撃を被りました。このため、ポートモレスビー攻略は5月に延期されます。

 この海域に展開していた日本の空母は「祥鳳」1隻のみで、搭載戦闘機は旧式の九六式艦上戦闘機でした。アメリカ空母部隊に対抗することは極めて困難な状況でした。

 日本陸軍は、「祥鳳」だけではアメリカ機動部隊への対応は不可能であるとして、海軍に空母の増援を要請します。しかしこの時期、日本海軍はミッドウェー島攻略作戦に主力を向けることを考えており、当初は空母「加賀」1隻のみを増援に充てようとしていました。日本側は、アメリカ空母「レキシントン」をすでに撃沈したと誤認しており、小兵力で十分と判断していたのです。

 しかし、第四艦隊から「兵力が少なすぎる」との意見が出され、最終的に空母「翔鶴」「瑞鶴」からなる第五航空戦隊(五航戦)が派遣されることになりました。五航戦は練度が低いと見なされており、実戦経験を積ませたいという意図もありました。この戦いは当時「MO作戦」と呼ばれていましたが、戦後はその過程で発生した「珊瑚海海戦」という名称で広く知られるようになります。同海戦は、史上初となる空母同士による海戦でもあります。

 同海戦直前、4月18日に行われたアメリカ軍の「ドーリットル日本本土空襲」の追撃に「翔鶴」「瑞鶴」「祥鳳」が参加していたため、十分な訓練や事前の打ち合わせができないまま、本作戦に臨むことになりました。

 一方アメリカ側は、暗号解読によって日本軍が珊瑚海方面に艦隊を派遣することを察知し、空母「レキシントン」「ヨークタウン」を迎撃に向かわせます。さらに、ドーリットル空襲に参加した第16任務部隊の空母「ホーネット」「エンタープライズ」も、4月25日に真珠湾で補給を終えた後、珊瑚海へ急行させました。

【写真】か、傾いていく…、これが、沈んでいく空母「レキシントン」です

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