戦時中 日本軍が実施した完璧な「奇跡の撤退作戦」支えたのは“足の速い新型駆逐艦”と“画期的な上陸艇”だった?

絶望的とも思われたキスカ島撤退作戦

 1943年5月27日、アラスカから伸びるアリューシャン列島で、周囲をアメリカ軍に包囲され孤立無援となったキスカ島の日本軍。しかし、同島ではさまざまな条件が偶然重なり、劣勢に立たされた日本軍としては異例の、全員無傷での撤退に成功しました。この奇跡ともいえる「キスカ島撤退作戦」とは、どのような作戦だったのでしょうか。

Large 20260315 01

拡大画像

当時新型だった駆逐艦「島風」(画像:パブリックドメイン)

 日本軍は1942年6月、アリューシャン列島のアッツ島とキスカ島を占領し、それぞれに守備隊を置いていました。

 しかし、両島の占領価値はミッドウェー海戦の敗北により低下しました。それでもアラスカ準州(当時)に位置するとはいえ、アメリカ領であることには変わりなく、戦局がアメリカ有利に傾くと、自国領が日本の勢力圏のままにあると士気に関わると判断し、アメリカは両島に猛爆撃を加え、奪還への意欲を示しました。

 1943年5月12日、アメリカ軍はついにアッツ島に上陸します。25日ごろには日本軍守備隊は風前の灯火となり、弾薬も底をつき、いわゆる「バンザイ突撃」と呼ばれる銃剣突撃を行う事態にまで追い込まれました。戦闘終了後の5月30日には、わずかな捕虜を残して守備隊全員が戦死。これがその後多用されることになる「玉砕」という言葉が初めて使われた戦いとなりました。

 同じく5月12日に開始された上陸作戦により、窮地に陥ったのがキスカ島守備隊でした。キスカ島は、アメリカ軍基地のあるアムチトカ島とアッツ島の間にあり、既に制海権・制空権をアメリカ軍に握られており、完全に孤立無援の状態にありました。

 残された守備隊は陸海軍合わせて約6000人。このままでは降伏するか、アッツ島と同じく孤立無援で絶望的な戦いを強いられる状況でした。大本営では、アッツ島守備隊が玉砕する直前にキスカ島守備隊の撤退命令を出しましたが、救出作戦については意見が分かれていました。

【画像】これは士気が下がる…キスカ島守備隊に向けて投下されたビラ

最新記事

コメント

6件のコメント

  1. 島風ではなく、雪風の画像になっています

  2. 「島風」とされる写真は、明らかに「雪風」です。

    誤字「指揮」X → 「士気」もありました。

  3. 駆逐艦雪風の写真が堂々と島風として載せられてるぞ

  4. 「島風」の写真が「雪風」になっているかと思います。

  5. 島風の画像が雪風なんだが(´・ω・`)

    後指揮でなく士気

  6. 広告が多過ぎて、集中して記事が読めないです。

    この、邪魔にしか成らない広告表示は、嫌悪感を招く結果になりはしませんか?