旧海軍出身の老艦 離島の危機を救う オールド護衛艦「わかば」が従事した大脱出劇
島民避難に自衛艦5隻が出動
1962(昭和37)年8月24日深夜、伊豆諸島三宅島(東京都)の雄山が突如、大噴火。山腹から海岸にいくつも火口が開き、絶えまない地震が島を襲います。
島からのSOSで、東京都は海上自衛隊横須賀地方隊に災害派遣を要請。この日の応急出動担当であった「わかば」に出動命令が下されます。翌8月25日、「わかば」は駆潜艇「きじ」「たか」「わし」とともに、台風が接近するなか高波と強風を突いて、毛布や食料などの救援物資、自衛隊の医官を三宅島に送り届けることに成功しました。
この成功により、その後も「わかば」は物資や人員の輸送、周辺警戒など三宅島への支援を続けます。しかし、島では激しい地震が止まず、島民の再噴火への不安は高まるばかりでした。
そこで災害対策会議は、ついに子供や女性、お年寄りなどの島外避難を決定。避難先となった千葉県館山市への輸送を海上自衛隊に要請します。これを受け9月1日、横須賀から護衛艦「わかば」「あやなみ」「うらなみ」「たかなみ」、揚陸艦「しれとこ」の5隻が三宅島へ向かいました。
台風による大きなうねりに苦しみながらも、自衛艦5隻は島民約1900名の乗船を無事故で完了。「わかば」は小学校の児童や教職員ら約490名を甲板いっぱいに載せ、三宅島の錆ヶ浜(さびがはま)を昼前に出発。16時頃に千葉県館山沖で児童らを迎えの揚陸艇に無事引き渡しました。
こうして子供たちは、この夜ひさびさに「揺れない大地」で眠ることができたそうです。
当時の新聞を見返すと、「わかば」の写真が何枚も載っていますが、島民を救出する姿はとても17年前に沈没した艦とは思えないほどです。乗船した児童や教職員たちも、これがかつての旧海軍駆逐艦であることに気付かなかったのではないでしょうか。
護衛艦「わかば」は1971(昭和46)年に退役しますが、数少ない同艦の活躍のひとつ、それが1962(昭和37)年の三宅島災害派遣でした。
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Writer: リタイ屋の梅(メカミリイラストレーター)
1967年生まれ。「昭和30~40年代の自衛隊と日本の民間航空」を中心に、ミリタリーと乗りもののイラスト解説同人誌を描き続ける。戦後日本史も研究中。
出ることでも有名だったとか。