日本初フライトをけん引 日の丸航空界の父「徳川好敏」どんな人物? 実現へのドラマ

初飛行当時の様子は?

 その後臨時軍用気球研究会が、飛行機の公式初飛行を1910年(明治43)年12月15日に設定します。それに合わせて、日本まで船で運ばれてきた機体を横浜で陸揚げし、飛行会場となる代々木練兵場(東京都渋谷区、現在の代々木公園)に持ち込み、組み立てるのですが、なかなか思うように組めません。

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ファルマン式二層型。いわゆるアンリ・ファルマン複葉機(画像:アメリカ議会図書館)

 ファルマン式二層型は、全長、全幅ともに10mを超え、4m近い高さもあります。つまり、一人では組めません。組み立ては、工兵隊の人手などを用いましたが、日本で飛行機を組み立てた経験がある技術者は皆無に等しく、かの徳川好敏氏も、もちろん熟練整備士ではありません。練兵場にテントを張って組立にあたったそうですが、夜遅くまで煌々とランプの光が灯っていたとか。この際にも、同氏のチームリーダーとしての素養が役に立ったのではないでしょうか。

 ちなみに一方で、同氏については、少し「人間らしさがある」といえるような……エピソードも残っています。

東京のど真ん中にある「初飛行の地」現在の様子は?

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コメント

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2件のコメント

  1. 日野大尉は、諸説ですか。
    なるほどね。それが、学術的態度なんですね。

  2. 所沢にファルマン運輸なんて会社もあるほど馴染みのある出来事のようで。

    ちなみに私の航空関連知名人の縁戚の方を見かけたプチ自慢。
    科博で展示されていたネ20ジェットエンジンの前で橘花の開発に関わった種子島氏のお孫さんという方を見かけたことが。
    ご自身のお爺様の関わったものということで来館したそう。
    美しい奥様でした。