飛行機の日本初飛行直前の大ピンチ! 窮地を救った隠れた偉人「奈良原三次」とは
航空界の超重要人物の師匠へ
奈良原三次氏の立場的は、いうなればプロデューサーのような位置づけとなるでしょうか。飛行機を自分で飛ばすために、資金を投入し、必要な技術者を集めたチームを立ち上げています。
こうして、奈良原氏は、旧日本海軍の出身者から民間航空生みの親となり、「日本民間航空の開拓者」と呼ばれた伊藤音次郎などの後継者に後を託します。なぜ手を引くようになったのか、一説によると彼は華族出身のため、最終的に危険でお金のかかる飛行機を止めるよう諭されたとか。真相は不明ながら、こうして彼は日本航空史から姿を消します。しかし、日本の民間航空界の黎明期をけん引した人物であることは間違いありません。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
コメント