英軍戦車にゾッコンのあまりそっくりに 幻のイタリアン砂漠用戦車「サハリアーノ」とは
第2次世界大戦中、新戦車を模索していたイタリア軍は、砂漠における戦いで、敵であるイギリス軍の戦車に目をつけます。いつしかその開発はイギリス戦車を参考にするあまり、ソックリなものに。その経緯と顛末を追ってみました。
なんかイギリス陣営がイイもん持ってんだけど…
1939(昭和14)年9月に勃発した第2次世界大戦に、イタリアは翌1940(昭和15)年6月よりドイツ側に立って参戦します。その一環で、イタリアはイギリス領エジプトを攻撃、これにより戦火は北アフリカ一帯にも広がりました。
しかし北アフリカ戦線で、イタリアは、砂漠の中を縦横無尽に走るイギリス軍の巡航(クルーザー)戦車Mk.IIIおよび装甲増加タイプのMk.IV型(A13シリーズ)に苦しめられることになります。
巡航戦車とは、イギリス軍が第2次世界大戦前に立てた独自の戦術概念に基づいて開発したものでした。その概念とは、歩兵支援を目的に機動力は二の次にして防御力を最優先とした「歩兵戦車」と、前線突破と追撃戦を目的に防御力よりも機動力を向上させた「巡航戦車」に戦車を二分して配備・運用するというものです。
巡航戦車は重量15t級で、同時期の歩兵戦車「マチルダ」の30t級と比べると軽量でした。装甲は薄いものの、それゆえに最高速度は45km/h以上と高速で、しかも距離500mで50mm装甲を貫徹する2ポンド戦車砲を備え、必要十分な攻撃力を有していました。
このように、優れた機動力と必要十分な攻撃力を持つイギリス軍の巡航戦車を目の当たりにしたことで、イタリア軍はその頃、ようやく本格的な中戦車M13/40型の調達を始めたばかりであったものの、イギリス巡航戦車に太刀打ちできる砂漠用の快速中戦車の開発に着手することを決めます。
とはいえ、一から開発したのでは時間もコストもかかってしまうことから、イギリス巡航戦車を参考にすることを決め、1940(昭和15)年末にその開発をフィアット・アンサルド社に依頼したのでした。
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