英軍戦車にゾッコンのあまりそっくりに 幻のイタリアン砂漠用戦車「サハリアーノ」とは

幻に終わった砂漠の快速戦車

 こうして1942(昭和17)年春、ようやく新型の快速中戦車が完成しました。乗員4名、重量15t級の試作戦車は、イギリスの「クルセイダー」巡航戦車を思わせる傾斜装甲で構成された低いシルエットで、足回りも4個の大型転輪と新方式の懸架装置からなるため、それまでのイタリア戦車とは異なる雰囲気を有していました。

 ただし一見すると「クルセイダー」に似た足まわりではあるものの、純粋なクリスティー式ではなく、トーションバー式も組み合わせたイタリアの独自改良タイプでした。しかし懸架装置としては優秀で、不整地での走行性能に優れていたため、275馬力を発揮するガソリンエンジンとの組み合わせにより、最高速度は路上で60km/h以上、路外でも45km/hを記録して、目標性能に対して充分な値を示しました。

 しかしイギリス巡航戦車と同様、高速性能を重視して車体を軽量化したため、装甲厚は車体および砲塔前面で30mm、側面で25mmしかなく、傾斜装甲であることを鑑みても当時の中戦車としては防御力に疑問が残るレベルでした。一方、攻撃力は長砲身の新型40口径47mm戦車砲を搭載したため、当時のイタリア戦車としては最強でした。

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1942年春に完成したM16/43型快速中戦車「サハリアーノ」。参考にしたイギリス製の「クルセイダー」巡航戦車より低いシルエットである。試作で終わったので、車体はデザートイエローの単色塗装であった(吉川和篤作画)。

 こうして完成し、一旦はM16/43型快速戦車として制式化された「サハリアーノ」でしたが、その頃フィアット・アンサルド社はM14/41型中戦車の製造で手一杯であり、全く系統が異なる新戦車の生産ラインを設ける余裕などなく、量産化はズルズルと後伸ばしされてしまいます。

 結局、1943(昭和18)年5月に北アフリカに展開していたイタリア・ドイツ枢軸軍が降伏したことで、砂漠での機動戦に長けた戦車の必要性に疑問符が生じます。その結果、イタリア版巡航戦車の量産化は中止と相なりました。

 もし「サハリアーノ」が量産化され、北アフリカの戦いに間に合っていたとしたら、砂漠の戦場で似たような形の戦車同士が戦っていたかもしれません。

【了】

【写真】「こんなの欲しい!」イタリア軍に衝撃与えたイギリス戦車

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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