ソリに飛行機エンジン載せたら割と使えた? ロシアが生んだ「アエロサン」 WW2では兵器に
プロペラ推進であるがゆえの欠点とは
1939(昭和14)年9月に始まった第2次世界大戦においては、多数の軍用アエロサンが兵器として開発・量産されました。ロシア革命ののち成立したソ連とフィンランドとのあいだで同年11月、冬戦争(第1次ソ・フィン戦争)が勃発すると、ソ連はアエロサンに機関銃を搭載するなどして、広く用いました。
冬戦争でアエロサンの有用性を再確認したソ連は、その後の継続戦争(第2次ソ・フィン戦争)や対ドイツ戦で、より本格的な軍用アエロサンの開発に着手し、ふたり乗りの小型タイプから5人乗りの汎用タイプ、さらには車体を装甲化したタイプまで様々な種類のアエロサンを開発し、戦闘に投入しています。
しかしアエロサンにも弱点がありました。それは構造上、足回りは駆動しないただのソリのため、丘陵や岩場では動けなくなることがあり、平地でしか使えないという点。またあまり重くしてしまうと、ソリが雪に埋まり動けなくなってしまうため、重量を増やせないのもウイークポイントでした。そのため重装甲や重武装は難しく、また車体が軽いため強風に弱いという欠点もありました。
これらのデメリットから、第2次世界大戦が終わると、ゴム履帯(いわゆるキャタピラ)の駆動力で雪原を走る雪上車やスノーモービルの方が軍用としては普及し、北米や北欧などソ連以外にも少しばかり見られたアエロサンは、もっぱらレジャーや趣味用がメインになっていきます。
ただしロシアでは、シベリアなどでの人員および物資輸送用に、より大型のものが開発生産されており、たとえば1960年代に登場したKA-30は、ワンボックス型のボディに最大8人を収容し、最大速度100km/hで雪上を移動することができました。
現在もロシアではアエロサンの開発生産が続いており、世界のアエロサンの生産数の9割を同国が占めています。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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