「ベタ踏み坂」なぜできた? 湖の上45mで県境またぐ橋 背景に「前身の橋」と航路の歴史

ベタ踏み坂の「前身の橋」とは? 古くからつながっていた島根と鳥取

 PCラーメン橋という型式の橋では日本一の長さを誇る江島大橋、開通は2004(平成16)年のことですが、実は「前身」とも言える別の橋が存在しました。

 江島大橋の開通前、江島と境港のあいだには、中海と境水道を仕切る「中浦水門」があり、その上が橋になっていました。船が通過する際は橋が跳ね上がる仕組みでしたが、そのたびにクルマは数分待たされるうえ、橋の重量制限が厳しく、大型トラックは迂回を余儀なくされていました。島根県側で江島とつながっている大根島の日本庭園「由志園」に向かう観光バスなどは、「乗客は全員降りて徒歩、バスのみ通過」という場合もあったのだとか。

 国際港である境港や、米子空港を拠点とする観光バスにとっては、いつでも通れる橋が切実に求められていたところ、国の事業として推進されていた中海の淡水化計画が中止になったことで水門が不要になります。そこで江島大橋が造られることとなり、その完成後に水門は撤去されました。

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江島大橋を上る米子空港連絡バス(宮武和多哉撮影)。

 水門が造られたのは1970年代のことでしたが、島根県松江市(旧・八束町)に属する大根島・江島と鳥取県境港市は、大根島から境港への高校入学が許されるなど、もともと深いつながりがありました。大根島出身の球児が甲子園出場通算10回の強豪・境高校野球部の選手として甲子園に出場した際は、9回終了時点でノーヒット・ノーランという「大根島のエース」の快投に両地域が盛り上がる、ということもあったとか。

 このように、広大な中海を隔てた地域どうしのつながりが深かったのには理由があります。かつては中海全体に多くの航路があり、湖全体が重要な移動ルートだったからです。

【地図/ギャラリー】ベタ踏み坂の位置/橋上からの眺め

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コメント

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3件のコメント

  1. 積雪とか凍結は平気なんですかね?ロードヒーティング?

  2. 記事の内容云々より、あまりの広告の多い事による読みにくさで見る意欲が著しく減退します。
    このコメント欄にもGoogleの広告がかぶさって来て打ちにくい事この上ない。
    記事をきちんと読んでもらうためには根本から考え直す必要があると思われます。

    • 広告抑制の可能なブラウザに代えれば良いだけでは?
      自分はココで広告が煩わしいなどとは意識したことすら無いよ。