「ベタ踏み坂」なぜできた? 湖の上45mで県境またぐ橋 背景に「前身の橋」と航路の歴史

橋を渡るバス路線のルーツは「船」

 中海やその西側にある宍道湖(しんじこ)周辺は、江戸時代から数多くの渡し船が存在しました。明治末期になると、松江市・京橋を本拠地として宍道湖や出雲に向かう「西航路」、中海を抜けて大根島・境港・美保関方面に向かう「東航路」をメインに、幾多の航路がふたつの湖を駈け抜け、一畑電鉄(現・一畑電車)や官有の鉄道と競争を繰り広げていたそうです。

 道路も未発達だった当時、湖をいく船は、速くて多くのモノを運べる乗りものだったのです。第2時世界大戦後も湖岸の道路事情はなかなか改善されず、中海沿岸の地域は昭和30年代前半まで、周辺の交通を船に頼っていましたが、その後は道路の整備によって航路は減少します。最後まで残った松江~大根島航路も、橋に役目を譲るかたちで1980(昭和55)年に姿を消しました。

 中海や宍道湖周辺で展開されていた航路の一部はバスに引き継がれ、松江から美保関方面へ向かう「万原線」、江島大橋を経て境港へ向かう「松江境港シャトルバス」など、一畑バスの幹線として、いまも通勤・通学を支え続けています。

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江島大橋は自転車や歩行者も多い(宮武和多哉撮影)。

 ちなみに「ベタ踏み坂」こと江島大橋は、通勤や買い物のために自転車で登る人もいるなど、地元の方は想像以上にこの橋を使いこなしているようです。橋は中央部で歩道が広くなっており、坂を登り切った人々の格好の休憩所となっています。せっかくベタ踏み坂を訪れたのであれば、中海や宍道湖の周辺を走るバスにも乗車し、汽船が行き交っていた頃に思いを馳せるのも良いでしょう。

【了】

【地図/ギャラリー】ベタ踏み坂の位置/橋上からの眺め

Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)

香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。

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コメント

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3件のコメント

  1. 積雪とか凍結は平気なんですかね?ロードヒーティング?

  2. 記事の内容云々より、あまりの広告の多い事による読みにくさで見る意欲が著しく減退します。
    このコメント欄にもGoogleの広告がかぶさって来て打ちにくい事この上ない。
    記事をきちんと読んでもらうためには根本から考え直す必要があると思われます。

    • 広告抑制の可能なブラウザに代えれば良いだけでは?
      自分はココで広告が煩わしいなどとは意識したことすら無いよ。