米国は「空飛ぶ看護師」日本は「エア・ガール」 航空会社「客室乗務員」の起源を辿る
いまや飛行機に乗るときには当たり前の存在となっている「客室乗務員」ですが、その起源はどのようなものなのでしょうか。米国では「看護師」に始まり、日本では「エア・ガール」として始まった、その歴史や経緯を見ていきます。
始まりはパイロット志望の女性と副社長の直談判!?
日本語のカタカナが外国でも通用すると思っていると、意外と和製英語であったりする言葉があります。有名なのは「ベビーカー」「ノートパソコン」などですが、実はCA、つまり「キャビン・アテンダント」も客室乗務員というより、英語圏では客船の乗務員を指す言葉で通じない和製英語のようで、世界的には「キャビンクルー (Cabin Crew)」が、旅客機の客室乗務員を示す言葉として広く使われています。
本格的に「客室乗務員」の仕事をつくるきっかけとなった人物は、アメリカのボーイング・エアトランスポート(現ユナイテッド航空)に勤務していた、エレン・チャーチさんが最も有名でしょう。彼女は客室乗務員の主任、いまでいう「チーフパーサー」として1930(昭和5)年5月15日に複葉旅客機ボーイング80Aに搭乗。これがいわゆる航空業界の「元祖客室乗務員」として広く知られています。
ただそれ以前にも、ドイツの飛行船「グラーフ・ツェッペリン」号に男性が添乗していたことや、イギリスの航空会社に少年が添乗していたといった記録も残っており、世界的にみると、空の世界の添乗員の始まりはそれより少し前にもあったといえるでしょう。
看護師、そしてパイロットの資格をもっていたエレン・チャーチさんは、ボーイング・エアトランスポートへはパイロットとして入社を希望したようですが、その願いは当時の社会情勢などからかないませんでした。そこで彼女は、女性が乗務することで、飛行機に乗ると不安になる乗客に安心感を与える効果があると当時の副社長にアピールし、看護師として飛行機に搭乗する足掛かりをつくります。これが、その後の客室乗務員の誕生に繋がったといえるでしょう。
エレン・チャーチさんが客室乗務員を務めたボーイング・エアトランスポート機の初フライトの翌年となる1931(昭和6)年、アメリカから遠く離れた島国、日本の航空業界でも、女性客室乗務員の仕事が生まれます。これが、ドラマでも取り上げられた「エア・ガール」の始まりです。
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