青森の災害復旧工事で「大間線」遺構のアーチ橋が消滅 未完だった「幻の青函ルート」

北海道側には遺構がまだ多く残っています。

観光資源にもなっている未成線遺構

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道路橋とともに被災した鉄道遺構(画像:青森県)。

 2021年8月10日頃から続いた大雨により、全国的に鉄道や道路施設が被災。青森県むつ市でも小赤川橋が落橋するなどの被害が発生しました。

 この小赤川橋の復旧の際、大量に堆積した土砂や流木を撤去する作業に支障となることから、戦前に造られた鉄道遺構であるアーチ橋もあわせて撤去されました。

 この鉄道遺構は明治時代から構想されてきた、本州と北海道を結ぶ青函ルート構想のひとつ、大間~函館ルートを形成する路線として建設された「大間線」のものです。

 工事は1937(昭和12)年に開始。1939(昭和14)年に下北~大畑間が開業しますが、その先の区間は戦局の悪化から工事が中止。路盤や橋梁、駅はおおむね完成していましたが、そのまま放棄されました。戦後、青函トンネルは龍飛崎経由で建設することが決定。大間線の全通は夢と消えたのです。

 なお、下北~大畑間は国鉄大畑線として存続しますが、1985(昭和60)年に下北交通に移管。2001(平成13)年に廃線となっています。

 大間線の遺構はこのほか、むつ市大畑地区および風間浦村の下風呂地区にアーチ橋が残っています。下風呂地区のアーチ橋は遊歩道として整備され、観光用に線路や駅構造物が新設されています。「ホーム」では足湯を楽しむことができます。

【了】

【道路復旧とともに消滅する「大間線」遺構を時間経過で見る】

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