日本の「貨物エアライン」実は結構あった? JAL一強崩れても栄枯盛衰 消えた珍機たち
新型コロナ禍での好調な売り上げの記録や、ヤマトの参入などで注目される「航空便での貨物輸送」。それらを担う国内の貨物エアラインには、どのような歴史があったのでしょうか。現在までを振り返ります。
草創期はむしろ貨物がメイン?
「新型コロナ禍の航空業界」といえば、お客さんが減ってかなり厳しい現状――というイメージがあります。逆にコロナ禍において業績を伸ばしているのが、航空機を用いた貨物輸送です。2022年には、ヤマトHDが自社で貨物機を持ち、JAL(日本航空)運航のもと航空貨物事業へ参入することを表明して話題にもなりました。
これまで、どちらかというと脚光を浴びることが少なかった我が国の貨物航空会社には、どのような歴史があったのでしょうか。
実は歴史を振り返ると、戦前、草創期の航空事業者(エアライン)は、旅客というより、貨物輸送の方がメインだったということができるでしょう。
日本で初めて民間定期航空路線を開設した事業者は日本航空輸送研究所で、運航開始は1922(大正11)年。路線は、大阪の堺市から四国の高松などで、機材は旧日本海軍からの払い下げの水上飛行機を使用しました。これらの便は旅客がメインではなく確実に採算の取れる郵便輸送を念頭にしていたと記録されています。その後、東西定期航空会、日本航空(JALとは別会社)などが国策で合併し、1928(昭和3)年に日本航空輸送株式会社が設立。こちらは当初、郵便と貨物の輸送からスタートし、やがて旅客も運ぶようになりました。
そして、戦後民間航空会社は一度すべて強制的に解散となります。その後1951(昭和26)年にこれが解禁されたものの、郵便輸送は国内、国際関わらず、JALが一手に引き受けており、機体の後部ドアに郵便マークが描かれていました。
JAL一強だった国内の航空貨物業務の状況に転機が訪れたのは、1978(昭和53)年の成田空港(新東京国際空港)の開港だったといえるでしょう。
これにより国際線の便数増加が可能となり、既存エアラインの貨物部門だけでなく、航空貨物を専門に取り扱う新たな航空会社が日本に生まれることになります。これがNCA(日本貨物航空)です。
〜路線は、大阪の境市から四国の高松などで、〜
大阪の堺市では?
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。