日本の「貨物エアライン」実は結構あった? JAL一強崩れても栄枯盛衰 消えた珍機たち
夢破れた国内の貨物航空会社たち
1991(平成3)年、JAL系の新たな形の貨物エアラインとして設立されたのは、日本ユニバーサル航空(JUST)です。JUSTは、ヤマト運輸、日本通運をはじめ物流各社が後ろ盾となっていました。機体はボーイング747-200Fを1機導入し、世界でも珍しいクジラのマーク、通称「ユーちゃん」を垂直尾翼に描いていました。ちなみに、この機はアメリカにあった超巨大航空会社、パンアメリカン航空(パンナム)からJALの手に渡ったのち、それをJUSTでリース導入するという、ちょっと珍しい経歴を持ちます。
物流大手が独自で貨物専用会社を立ち上げた例もあります。2005(平成17)年に佐川急便の完全子会社として設立されたギャラクシー・エアラインズです。エアバスA300貨物機を佐川急便のトラックでおなじみの「銀河カラー」のデザインを施し、2006年に運航を開始しましたが、整備コストや燃料費の高騰などから大きな赤字を叩き出してしまい、わずか2年ほどで解散してしまいました。筆者の目からみると、塗装は結構オシャレだったと思います。
このほか、ビーチクラフト社1900という双発T尾翼の小型機を使用して小口貨物の輸送を担ったトヨタ系列の「オレンジカーゴ」、ANAと日本郵政公社が協同で設立した貨物航空会社「ANA&JPエクスプレス」などが存在しました。なお、ANA&JPエクスプレスはANAカーゴの祖先的な存在ともいえるでしょう。
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現状こそ好調な状態が続いているものの、先述したとおり、ここ最新の貨物エアラインの多くは、“ずっと順風満帆”といえる会社はほとんどなく、とん挫してしまった会社も多いのも事実です。航空機の運航という専門性の高さが求められる分野であるほか、時代の流れにより貨物輸送の需要も変わるために、その変化に対応できる力が必要なことも一因なのかもしれません。現在運航されている貨物エアラインの運航には、数多くの方々のたゆまぬ努力があるのです。
【了】
※一部修正しました(3月10日9時19分)。
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
〜路線は、大阪の境市から四国の高松などで、〜
大阪の堺市では?
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。