海自US-2の祖先 九七式飛行艇が初飛行-1936.7.14 国産大型機の先駆 戦前航空技術の極み
7月14日は日本が独自開発した大型機の九七式飛行艇が初飛行した日。当時の航空機としては驚異的な高性能を誇った同機は、太平洋戦争の始めから終わりまでひたすら飛び続け、さらに今日の海上自衛隊飛行艇の始祖にもなりました。
軍縮条約の締結が開発の契機
1936(昭和11)年の7月14日。日本の航空機メーカー、川西航空機(現新明和工業)が開発した九七式飛行艇が初飛行しました。飛行艇とは胴体下部が船形をしており、海上でも発着可能な飛行機のことです。
九七式飛行艇は、日本のオリジナル設計で、かつ最も量産された国産4発エンジン機です。開発の端緒となったのは1922(大正11)年2月に締結されたワシントン海軍軍縮条約でした。
この条約は、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア5か国の軍艦保有量に制限をかけたもので、これにより日本は戦艦や航空母艦(空母)の保有に上限が課せられることになります。加えてその後、巡洋艦や駆逐艦など、いわゆる補助艦と呼ばれる艦船の保有量についてもロンドン海軍軍縮条約で制限が加えられることになったことから、旧日本海軍は航空兵力を拡充することで水上戦闘艦の保有量制限を補い、戦力を強化する方へ舵を切りました。
こうした経緯から検討されるようになったのが、魚雷や爆弾などを数多く積み、長距離を飛行して、遠方から敵艦隊を攻撃できる大型機の整備でした。
この計画に従い、旧日本海軍は1924(大正13)年、川西航空機に対して魚雷2本を積んで航続距離4625km以上を飛べる大型飛行艇を要求します。これに対し、川西航空機は社を挙げて取り組み、「九試大型飛行艇」と名付けられた試作機を完成させ、冒頭に述べたとおり、1936(昭和11)年7月の初飛行を成功させたのです。
その後、エンジンをより強力なものに換装するなど改良が加えられた結果、九試大型飛行艇は1938(昭和13)年1月8日、「九七式飛行艇」として海軍に制式採用されました。
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