新兵器の脅威に抗え! いまや幻の艦載火器「機砲」はなぜ急速に普及し消えたのか

機砲が必要に迫られたワケは「水雷艇」

 機砲が狙ったのは当時の新兵器「魚雷」で武装した「水雷艇」です。

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日露戦争当時、日本海軍の機砲を操作する様子(画像:『日露戦役海軍写真帖第一巻』市岡太次郎 等撮影/小川一真出版部/国立国会図書館 所蔵)。

 19世紀までの海戦といえば、木造帆船に大砲を積み、砲撃戦で敵艦を破壊し、そして艦首の尖った衝角(ラム)を敵艦にぶつける体当たり戦法が主流でした。やがて敵弾を防ぐために主要部分を装甲した艦が造られ、それを打ち破ろうと大砲も大口径化します。装甲艦が登場した頃は、大砲の威力不足で命中させても致命傷にはなりにくく、時代が逆戻りしたように衝角をぶつけ合う体当たり戦の方が有効だったという時期もあったようです。

 それでも当時の装甲艦は、重くなりすぎるという理由から、敵弾が当たりにくい水面下の船体に装甲は施されていませんでした。そこを狙ったのが魚雷です。

 1868(明治元)年にイギリス海軍が魚雷を実用化し、1879(明治12)年にはこれを主武装とする水雷艇が生まれます。当時の魚雷は直進性が悪く、命中させるにはなるべく目標に接近する必要があり、小型ですばしこい水雷艇で敵艦に肉薄したのです。なお、当時の「水雷艇」は蒸気機関を主機とする艦艇であり、後に登場する、内燃機関で水面滑走するいわゆるモーターボートの「魚雷艇」とは別物です。

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1906年7月に撮影された、アメリカ海軍の水雷艇、USS「モリス」(画像:アメリカ海軍)。

 日清戦争の黄海海戦で損傷を追いながら、辛くも沈没を免れた清国の戦艦「定遠」も、日本海軍水雷艇の夜襲で致命傷を受けて、後に自沈へ追い込まれています。戦艦、巡洋艦の大口径砲では水雷艇を追い切れず、連射できる火器のニーズが高まっており、そこに登場したのが機砲というわけです。

【画像】警戒感マックスで晴海に入港する英揚陸艦「アルビオン」とその機銃

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コメント

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1件のコメント

  1. 登録していませんが、何時も楽しく拝見させていただいています。
    8/16のパンツァーの記事について疑問があります。
    最終ページのガトリング ファランクスの記述ですが、
    「前述の」以下の部分はバルカン砲ではなくガトリングガン
    ではないでしょうか?
    バルカンはGE製M-61の商標で運用はF-104搭載の1958年~
    だとおもいます。
    またパンツァーなら俗称のバルカン ファランクスではなく
    正式のファランクスとしたほうが専門誌っぽいと思いました。