「ジャンボ・ジェットにそっくり過ぎるプロペラ機」なぜ誕生? 傑作機「DC-4」魔改造 その目的
なぜプロペラ機を747みたいにしたのか?
この機体が運用される前、タイプ170スーパー・フレイター32型というカー・フェリー機が開発されました。これは、イギリスのブリストル社が開発したタイプ170という貨物機を拡大したもので、少数機の製造に終わっていましたが、カー・フェリー機には一定の需要があることも判明しました。
そこで、イギリスのアビエーション・トレーダーズ・リミテッド(ATL)は、より大型のカー・フェリーを開発することとします。ここで目がつけられたのが、DC-4/C-54でした。これらは、第二次世界大戦中に軍民でシェアを誇り、大量に製造されていました。「カー・ヴェール」が初飛行した1961年ごろには、ジェット時代を迎えてプロペラ輸送機が余剰になり、DC-4/C-54がかなり格安で入手できたことも一因と考えられます。
DC-4/C-54にボーイング747のような改修が施されたのは、このときです。コクピットを貨物室上に持ち上げ、機種最前方が横方向に開くことで、自動車のような大型貨物を難なく積み込めるようにしました。貨物ドアの開く方向は違えど、まさにボーイング747貨物機のようですが、その大きさは全長約31m、全幅約36m。おおよそ747の半分程度のサイズです。
ちなみに、「カー・ヴェール」が機首から自動車を搭載するためには、専用のリフターかランプ(傾斜台)が必要でした。機体名称は、カー・フェリーからカーが、ヴェールはエアから拡張したものではないかと筆者(種山雅夫、元航空科学博物館展示部長 学芸員)は考えています。
「カー・ヴェール」は最終的には21機が改造され、1960年代から最後は1980年代までアイルランド・エアロリンガスなどで使用されました。なかには、元JAL(日本航空)機のDC-4を改修したものもあったそうで、アンセット・エアカーゴ向けのVH-INJは、元JALで運航していたDC-4(JA6008)です。引退後の60年代後半に、機首を大改造し、運用されたと記録されています。
ただ、その後「カー・ヴェール」をはじめとするカー・フェリー機は、車両の搭載に課題があるなど、後継機が開発されることなく衰退してしまいました。「小さなジャンボ・ジェット」は輝かしいスポットライトを浴びることはなかったのです。
せめて写真だけでもいいので、カー・ヴェールと747が並んでいるのを見たかったな……と思うのは筆者だけでしょうか。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
どの作品か忘れましたが、映画「007」にも出ていたことを思い出しました。