街路樹の外側も“車道”…なぜ? 運転ちょいムズ 独特構造のデカい道「三線道路」とは?
道路の中央分離帯ではなく、同じ方向の車線を隔てるように並木などの緑地帯が存在する広い道路があります。車線変更しにくい構造でもあるこうした道路、実は台湾でもよく見られるものです。
台湾の都市に多く存在する「三線道路」
大阪の御堂筋を走っていると、その独特の構造に気付かされます。進行方向が同じ車線同士の間に、謎にも感じられる並木のある分離帯があるのです。

この「車道の中の並木」のメリットは「緑があって和む」「歩行者にとって安全」といったところでしょう。一方で、運転者側からすると車線変更が容易ではなく「右左折の交差点を間違えると、迂回しなければいけない」といったデメリットもあります。同様の構造は、同じ大阪のなにわ筋や、和歌山駅から和歌山城へ通じるけやき大通りなど、都市のシンボル的な広い道路で見られるものの、そう多くはありません。
実は、このように同方向の車線間に分離帯がある道路は、台湾ではよく見られ、「三線道路」と呼ばれています。もともとは日本統治時代(1895~1945年)の台湾で多く採用された道路形態です。
日本統治時代以前、台北市内のダーダオチェン(日本読みはダイトウテイ、表記の関係上カタカナ)からバンカ(同。万華とも表記)の間には、台北城という城郭がありました。これは日本統治時代以前に、台湾を統治していた清によって築かれたもので、その完成は1884年。日本の統治が始まるわずか11年前のことでした。その後、日清戦争(1894~1895年)に勝利し、台湾を割譲されると、日本は台湾のインフラ整備に着手していくことになります。
その都市計画で実施されたのが、台北城壁の一部撤去でした。
この撤去した城壁を利用して作られたものが、前述の「三線道路」で、当初は道路の中央部分が「車道」で、植え込みを挟んだ両端は「散歩道」とされていました。1913年頃には、台北で「三線道路」が完成し、各都市に応用されていきました。また、中央が緑地で、その両側が車道というパターンもあります。
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