物流の日本通運、福山通運…「通運」って一体何だ? かつて絶大な力をもった“お墨付き”
巨大な「すき間産業」を国が管理
文明開化真っただ中の1872(明治5)年、新橋~横浜に日本で最初の鉄道が走りはじめました。当時、鉄道の最大の役目は「旅客」ではなく、あくまでも「軍事輸送(兵站:へいたん)」と「物流」で、富国強兵・殖産興業の牽引役となるのが務めでした。
翌1873(明治6)年に鉄道の貨物輸送がスタートすると、これまで飛脚か大八車、馬車・牛車しかなかった陸上輸送に大革命が起こります。前代未聞の“超高速”で大量に荷物を運べる貨物列車は、鉄道の急速な全国的広がりとともに、ますます便利になっていき、陸運の主役へ躍り出ます。
東海道本線が1889(明治22)年に全線開通し、新橋~神戸間約600kmを約20時間で結ぶようになった一方、道路による交通手段はまだ全くの未開で自動車すら存在せず、国道も江戸時代の街道とあまり変わらないレベルでした。
蒸気船も大量輸送手段として台頭し始めていましたが、スピードでは鉄道の敵ではなく、なにより内陸部の輸送は不可能で、鉄道輸送のシェアを脅かす存在ではありませんでした。
さて、鉄道貨物を利用するとなると、荷主は自分で貨物取扱駅や「貨物ターミナル」へ荷物を運び、時刻と値段を調べて荷物を貨車に載せます。到着駅では、貨車から荷物を降ろし、自ら目的地まで運ばなければなりません。これらにともなう手続きや書類作成も全部自分で処理しなければならず非常に面倒です。
そこで、荷主から荷物を受け取ったあと「駅まで運び、貨車に載せたり、駅に着いた荷物を取り出して荷主のもとに届ける」という、いわば「ラスト・ワンマイル」を受け持つ運送業者が必要となりました。
国は、利便性と安心・安全を図るため、信頼のおける比較的に大きな輸送会社に「通運」の免許を与え、こうした「荷主~貨物駅」を担う業務を行わせることにします。
なお、「通運」の免許がない業者が内緒で貨物駅に運んだりすると、法律違反として罰せられることもありました。つまり通運免許がない運輸会社は「貨物駅に出入り厳禁」に近かったわけです。
この通運制度、実はそのルーツは鉄道開通よりも早く、前年の1871(明治4)年に国策で旗揚げされた「陸運元(りくうんもと)会社」が前身です。
江戸時代から続く「飛脚」制度を一元化し、普通の貨物の他にも、政府関連貨物や官営郵便物を独占的に運搬するのが目的で、数年後に「内国通運会社」へと改称しています。
エアアジアのCA制服の画像等は、この記事と何の関係があるのでしょう…?