物流の日本通運、福山通運…「通運」って一体何だ? かつて絶大な力をもった“お墨付き”

長距離トラックはまだまだ「輸送界の負け組」だった?

 さて、昭和時代に入って規制が少々緩和されると、全国津々浦々に中小の通運業者が雨後の筍のように乱立します。そこで、内国通運会社をベースにこれら中小通運会社を合従連衡させて1937(昭和12)年に新設されたのが、半官半民の株式会社だった日通なのです。戦時中は国家総動員の掛け声のもと、通運事業をほぼ独占していました。

 第二次大戦が終わってしばらくすると「通運事業法」が作られ、財閥解体や独占禁止法もからみながら、大原則だった「1駅1事業者」という規制は撤廃され、ある程度の企業規模と信用度を備えた運送会社であれば国から「通運」の免許をもらえるように規制緩和されました。

 先述の日通をのぞき、現在の社名に「通運」を謳う物流企業の大半は、この「通運事業法」の制定後に免許を取得した、いわば“戦後組”です。ちなみにヤマト運輸 は社名に「通運」を掲げてはいませんが、こちらもれっきとした戦後組の通運会社です。

 通運免許は、1960年代まではまさに「金看板」そのもので、絶大な威力を発揮しました。高度経済成長の最中にあっても、国内の中長距離における陸上貨物輸送は、いまだ鉄道貨物が圧倒的でした。当時は高速道路がやっと建設し始めたころで、主要国道の整備もままならず、未舗装区間も多かったトラック長距離輸送は相変わらず「手間・暇・コスト」がかかったのです。

 通運会社はこうしてトラック輸送業界のヒエラルキーのまさに頂点にいる「花形」でした。しかし、時代は規制緩和や鉄道貨物輸送の減少、さらには国鉄の分割民営化を迎え、1989(平成元)年に通運事業法が廃止。長く続いた通運免許制度はピリオドを打ちます。

 代わって設けられた「貨物運送取扱事業法」では、通運業を「鉄道利用運輸事業」と呼び名を変えて、規制も大幅に緩和されています。また今では法律やお役所の書類の中でも「通運」を見かけることはほとんどなくなっているようです。

 それでも日通を始め「〇〇通運」の大半がいまだに「昔の名前で出ています」なのは、「伝統」「プライド」「信頼感」、そして「ノスタルジー」だからかも知れません。

【了】

【写真】日本最長約30kmの「私道」行き交うクルマも規格外

Writer: 深川孝行

1962年、東京生まれ。法政大学文学部地理学科卒業後、ビジネス雑誌などの各編集長を経てフリージャーナリストに。物流、電機・通信、防衛、旅行、ホテル、テーマパーク業界を得意とする。著書(共著含む)多数。日本大学で非常勤講師(国際法)の経験もある。

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コメント

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1件のコメント

  1. エアアジアのCA制服の画像等は、この記事と何の関係があるのでしょう…?