満鉄だけじゃない 中国の鉄道を走らせた日本の国策会社「華北交通」「華中鉄道」 夢みた大陸縦貫

夢と消えた大陸縦貫鉄道と“その後”

 日本陸軍最大の攻勢作戦となった大陸打通作戦の目的は三つありました。一つは所在の中国軍を撃破して蒋介石の重慶政府に打撃を与えること、二つ目が、鉄道を縦貫させること、三つめが沿岸部の航空基地を撃滅することでした。

 結局、大陸打通作戦は、敵空軍基地の覆滅を主目標にしたものとなりましたが、日本陸軍が、大陸縦貫鉄道の夢をあきらめていなかったのは確かです。実際、日本軍は満洲や占領地から不要不急の鉄道材料を運ぶ算段をしていました。しかし岳州以南の鉄道は中国軍に破壊され、さらに先述したように桂林以南の鉄道は建設されておらず、実行は困難でした。やはり、大陸縦貫鉄道は夢と終わったのでした。

戦争末期も懸命に走り続けた華北交通と華中鉄道

 1944(昭和19)年12月、日本陸軍の大陸鉄道隊が編成され、この部隊が「満鮮支」の軍事輸送をすべて管掌するようになりました。さらに1945(昭和20)年3月になると占領下の鉄道は全て軍の管理下に置かれるようになります。

 この時期には、線路への抗日ゲリラの襲撃と在中米空軍の空襲が常態化していました。そうしたなか華北交通も華中鉄道も懸命に輸送を行いました。しかし、一貫輸送により長距離を走ることから貨車の運行効率は悪く、朝鮮南部には車両の集中により貨車ラッシュが発生していました。さらに、釜山港での船積みの際には荷役効率が悪化して、貨物の滞留が膨大なものになっていきました。

 1945(昭和20)年4月1日、華北交通は民間会社から軍の一機関である「北支那交通団」へと改組。職員はすべて軍属となりました。そして敗戦後、中国国民政府に接収され1946(昭和21)年には閉鎖されます。同じく華中鉄道も敗戦後に接収・閉鎖されました。

 中国大陸での陸上貨物輸送のあまりに巨大な規模と複雑さは、日本政府、そして日本陸軍の当初の想定を超えるものだったのかもしれません。中国において日本が構想した鉄道輸送網は、敗戦を待たずして、もろくも崩れ去ったのです。

※華北交通が所蔵していた約3万8000点の広報用ストックフォトなどは、統合型の研究データベース「華北交通アーカイブス」にまとめられています。

【了】

【壮大!】中国大陸の日本の鉄道「華北交通」「華中鉄道」路線図

Writer: 樋口隆晴(編集者、ミリタリー・歴史ライター)

1966年東京生まれ、戦車専門誌『月刊PANZER』編集部員を経てフリーに。主な著書に『戦闘戦史』(作品社)、『武器と甲冑』(渡辺信吾と共著。ワンパブリッシング)など。他多数のムック等の企画プランニングも。

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