1門火力は戦艦以上「列車砲」とは パリ砲、グスタフ…巨砲は戦後なぜ急に姿を消した?
鉄道の発展と共に、その有効性を期待されたた列車砲。第1次世界大戦では有効な場面も多く、一度火を噴けばその威力はケタ違いでしたが、第2次世界大戦後はすっかり姿を消しました。どのような兵器だったのでしょうか。
移動手段に使った列車をそのまま砲台にするという発想
21世紀の現在では、様々な状況で使われるようになった「大きいことはいいことだ」という言葉、実はお菓子のCMのキャッチフレーズが発祥となっています。戦場においても、火砲が大きければ大きいほど、威力は一般的に上がります。
さて、戦艦の話になると、よくその砲の口径の大きさが話題となりますが、歴史上もっとも大口径の火砲が据え付けられたのは、実は戦艦ではなく、鉄道車両です。
砲を運搬する列車の、貨車をそのまま砲台にし、火砲として使用する「列車砲」という発想は、鉄道の発展と共に生まれました。古くは1861年から1865年にかけての、アメリカにおける南北戦争時代にはすでに原型があり、要塞攻撃のために使用された記録があります。19世紀末の1890年代には欧州の各国がこの兵器をこぞって研究し、第1次世界大戦では列強各国が戦場に配備します。
第1世界大戦中の列車砲の運用の様子については、当時の日本の新聞でも知ることができます。ヴェルダンの戦いやソンムの戦いなど、欧州で激戦が続いていた1916(大正5)年8月15日の読売新聞には「フランスが欧州戦役において列車砲なるものを攻城戦や反撃のために砲撃として使用している」とあります。またその有用性については「輸送が軽快で、射撃のための準備が少なく、いたるところで戦闘をして、瞬く間に砲を隠すことができる」とかなり評価しています。
そしてこの第1次世界大戦で最も有名な列車砲は、ドイツ軍が開発した「パリ砲」あるいは「カイザー・ヴィルヘルム砲」と呼ばれる巨砲で、砲の長さ28m、口径が210mmという途方もない大きさだったといいます。名前の通り、フランスのパリを遠くから砲撃するためのもので、有効射程は約130km。その砲弾は、人間が作った物体として初めて成層圏に届いたものとされています。
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